いつ頃からですかね、 私が「嫌われて上等!」と 思うようになったのは。中学3年生の卒業文集で、学年で一番不良だと言われていた女の子の やよいちゃんは「おなごらしく上等」と ただ 1行 書いていたんですよね。 それを見てから私は腹をくくったような気がします。
誰かに歯向かうとか、誰かと喧嘩をしようとか、誰かの意見を曲げようなんて思ったことはないのです。 ただ 私は私の考えに従いたかったというだけのシンプルな 気持ちだったんですが、 徒党を組んで「違うよ!」と 言われると、小学生から中学卒業 ぐらいまでははとっても意地になってたような気がします・・・。(・・;)
本当の意味で友達なんかいらないと思い始めたのは高校に入ってからですね。 高校1年生の頃はまだ 周りに合わせていたところがあるのですが、 高校2年になってからはかなり どうでもよくなりました。 友達ゼロではなかったんですが、 友達ゼロでもいいなとも思っていました。バイトを一生懸命頑張って、貧乏から1日も早く抜け出したいと思ったり、 バイクに乗るようになって時短活動をいっぱいした頃でした。 とにかく小学校から一度もまともに勉強したことがなかったので、将来どうなるのか自分でも本当にわからなかったです。
とにかく私自身が生き延びることが肝心で、誰かに深く愛されたり 気にかけてもらったりすることが必要だかどうかは、 頭の中にはなかったです。 誰かと深く 繋がり合うことが今一番の課題だとは思わなかった、というのがゲンジツだったように思います。
誰に嫌われてもいいから仕事ができるようになって時給が上がることや、 勉強しなくてもそれなりの成績が取れるような要領の良さや、 時間 奪われないように誰かに まとわりつかれることがないようにする 防御の壁を 分厚くすることなど、 本当に今の私が振り返ってみても、 ゆとりがなければ私のことなんか好きなんかなれないと思います(笑)。
ゆとりがありすぎて、自分が生き延びることをそんなに心配してなくて、余力や エンターテイメントの ジャンル として 私を見てくれている人たちは、 私が自由に好きなことをしたとしても、 許す 許さない とかいう感覚ではなく、見ていて面白ければ全てよし!という 感覚だったろうと思います。
私はそういう人たちとしか 付き合えなかった ハンディキャップな人間なのかもしれません。だって「嫌われて上等!」と本当に思ってきましたし、 今でも 同じだからです。(・・;) ところが もう年齢のせいなのか、 私のことをわざわざ嫌うようなエネルギーを使ってくれる人も少なくなってきました(笑)。
あとは私が自由に行動できる 現実 あるのみ! 楽しいです(^^♪







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