03/17/2007 にアップした文章です。
昨日は、報道や人々の原文・長文解析への態度について書いて、ページ数が尽きてしまいました・・・。大切な宝物である子どもたちの学ぶ意欲の低下について、今日は、もう少し考えてみたいと思います。再三書いてきましたが、生命体は死ぬまで成長過程にあります。これは、特に脳についての構造と働きが解明されきっていない現在ですら、「真実」として受け止めていいことです。「大人になったから学習はしなくてもいい」と明確に言い切る御仁に対しては、他のことについて、どんなにいいことをおっしゃるにしろ、疑いは持ったほうがいいのです。生物学的大前提であり、普遍です。
意欲:物事を積極的にしようとする意志・気持ち。
積極:事物に対してこれを肯定し進んではたらきかけること。自分から進んで事をすること。
意志:(1)考え。意向。(2)物事をなすにあたっての積極的なこころざし。(3)〔哲・倫〕〔will〕ある目的を実現するために自発的で意識的な行動を生起させる内的意欲。道徳的価値評価の原因ともなる。(4)〔心〕 生活体が示す目的的行動を生起させ、それを統制する心的過程。反射的・本能的な行動とは区別される。
私の場合は、7・8歳の頃、野川というしょぼい川の川原で、華僑のおじさんに、「貧乏なんて屁でもない。お金や宝石や家や車や形のあるものはいつか誰かに盗まれるかもしれない、と怖がらなくてはいけない。形あるものはすべて変わるし、失うことも多い。けれども、頭の中に詰まったものは誰にも盗めないからがんばれよ」と言われた経験があり、それから本当に本をたくさん読むようになったのでした。同時に、父も机にかじりついて勉強しろとは言わなかったし、母などは「早いところ義務教育を終えてくれ」と思っていた節があり、大学に行くことすらびっくりしていたので、私という人間が形成されたのは、本を読み、その後現実で体験するという方法だったのでしょう。そのため、学ぶ意欲は、現在もある一定値を保っており、たいへんに恵まれたことだと感謝しています。これについてのネガティブな面は、早いうちに遺伝子要素が少ないのに近眼になったことくらいですか・・・。
さらに、カルチャーセンターでは、3月末からの脳内トレーニングのあとに、意欲を掻き立てるための目標実現に関する心理学講座をやることになっています。生物学的事実をたくさん踏まえて、「あなたはそれらをできる可能性を裡側に秘め持っている」ということを披露するだけで、相当にポジティブになり、脳を活性化させることが可能なので、そういう順番を考えてみました。学習や目標の実現は、子どもたちだけのものではなく、格差社会でフリーターの高齢化やWorking Poor(労働すれども貧しい)層が増えていることを考えても、現実をどう「料理していくか」という能力が要求されていることがわかります。学究的な言葉ではなく、誰にでもわかる言葉で(映画 “Philadelphia”では、弁護士がエイズで解雇された事件を軸に、無名に近かった黒人弁護士が「6歳の子どもに話すようにわかりやすく話してくれ」という口癖がありました)、働きかけをするのは、たいへんに有効だと信じています。
さて、原文を見ていくと、生活習慣がやはりキーであることが見えてきます。まずはっきりした事実は、この統計だけなのかどうかを疑うことは別にして、「子どもたちの寝る時間が少ないこと」です。小学校4年から6年で、寝る時間が11時というのは、私には到底考えられない。私だけではなく、睡眠について少しでもかじっている人たちには信じがたいことだろうと思います。そして起きるのが、6時から7時半にばらつきがあるものの、そこから考えると、睡眠時間は7から8時間半くらいと計算できます。私は寝る子どもだったし、現在でも7時間は寝ないと使い物にならないことがわかっているので、子どもの頃はもっと寝ていました。くたくたになるまで走り回り、なーんの足しにもならないことに立ち止まったり奔走したりして、家では仕事(お手伝いではなく義務ね)をし、やはり小学校の高学年になっても10時にはどうしても眠りたかった。眠らなければ使い物にならないことになるわけです。8時間半から10時間は毎日眠っていました。その日の疲れ具合で、眠る時間は8時半にも9時にもなるのです。朝は、6時半と決まっていたので(でないと朝の仕事ができないし、ドッヂボールをするための朝遊びの時間が確保できない)、あまりに疲れている場合には日曜日には特別に寝かせてもらったりして、寝貯めができないという実験もしたわけです。
朝の習慣についての質問群を見てもらっても、「自律」形成中であることがわかります。「朝歯磨きをする」という問いに、中国・韓国の子どもたちが80%以上が「いつも」と答えているところを、日本の子どもたちが63.9%であることは、私には脅威です。顔を洗うことにしても同様です。
他にも懸念をむくむくともたげさせる回答には;「テレビを見ながら食事をする」「放課後の行動」「誰とごはんを食べるか」「手伝い」部分、家の人々がよく言うこと、「あいさつ」部分。
これらを真剣に自分なりに見てみてください。これは結論ではないし、決め付けはいけませんが、見えてくるものはあるかもしれません。子どもの頃は特に、成長度合いやそのスピードが目まぐるしいものですが、大人でも同様です。誰かに常に小言を言われることはどんな年齢であれ不愉快です。挨拶をしたいと思わせる人間関係を持てているかどうか、により挨拶の頻度や内容や心の伴いは左右されます。誰かといっしょに過ごすことによって、関係は切磋琢磨されます。だからこそ、ひとりの時間、誰にも見られていない時間を大切にすることができるし、メリハリをつけることが能力として開花されることになります。
いい結果、自分が望んでいる結果が得られる場合にこそ、人々には意志が芽生えます。「もっとやりたい」「もう一度この気持ちを味わいたい」という欲求が生まれ、それが意欲の動機となります。テストの点数よりは、親や大人や友だちに褒められることのほうが、ずっと効果がある。それは見えない先々の将来よりも、今目の前にいる関係の満足感に繋がるからです。さらに、テストができるよりは、ドッヂボールが上手だったり、マラソンができたり、かけっこが早かったり、何かシュミのような特技があったりしたほうが、ずっと他の分野でも伸びる可能性が生まれてきます。ひとつができれば、次もできる、という自信に繋がるからです。それは、今の私でも同じであるし、69歳になった母でも同様です。子どもであれば、もっと大きいものであるだろうし、先の時間が長い場合には、この先どんなスキルや能力が開花するのか?は、大切にしてあげたいことです。私は会社勤めをしていませんが、会社でも同様でしょうし、パートでも同じです。建築現場だって同じなのです(ほら、今、横田の現場に行ってるので実感なのよ・・・)。
逆に意欲を殺ぐような言葉遣いや口癖を、自分が持っているのかどうか、よく考えてみましょう。私は疲れているとあるのです。母にも西さんにも先回りした「理想像」をむやみに押し付けたりします。なので、身体が資本だということを、日々実感しているのです。子どもたちには、よく寝て食べてもらい、最低限の衛生を保ってもらい、会話が多く、人を相手にする場面と、ひとりになる場面をメリハリをつけてもらい、集中して物事に取り組むポジティブな気持ちを持ってもらえるよう、鏡である立場にもなる人間が、謙虚に考える必要があります。これらは、自分に対する生涯の課題として、私はいつも持っていたいと思っているのです。西さんは私が子どもを持っていないことを「よかったぁ」と心から思っているようなので、私は今のところ、まだまだ及第点がもらえないようだ・・・(汗)。
明日からはエッセイを日々書いていけると思うので、今後ともよろしくお願いいたします。原文を時間がある方々は、くれぐれも見ておいてください♪
http://www1.odn.ne.jp/youth-study/reserch/2007/tanjyun.pdf
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