07/30/2006にアップした文章です。
昨日に引き続き、10代のつらい時期を乗り越えている若者にエールを込めて。ただでさえたいへんな時期に、大人が「こうあるべき」「こうしなくてどうするの!?」を押し付けてくることを軽減したい、ということは書きました。よく使い古された言葉に、この言葉があります。私も何度となくどやしつけられました。今日は当時も振り返ってみて・・・。
学生:学校で勉強する人。主に、大学で勉強する人をいう。
本分:(1)その人が本来尽くすべきつとめ・義務。 (2)人やものに本来そなわっている性質。
まずは、人生のある時期において、すべきつとめ(ここがひらがななのは、広義だからなのだと思われる。勤め・努め・務め・勉めなど代表的な漢字があり、意味はもう少しだけ狭義になる)が決め付けられているというのは、生物学的根拠の元、私たちが提供している環境的要因を踏まえたものである必要があります。でなければ、決め付ける根拠なし!と却下してもいいことです。
私の自説では、学校に通う・通わないは別にしても、人間は生まれたときから死ぬまで勉強なので、そもそも学生の本分という言い方はしっくり来ません。机に座り、教科書を開き、テストを受けることが勉強だという解釈は、「便宜上の分類」としては賛成しておきます。が、私のように40歳を超えても勉強を本分にしていた(してきたし、今後もお休みを取ったあとする予定)人間はいるのだし、10代のつらい時期を送っている思春期の子どもたちに、本分うんぬんを周囲の大人や学校体制や国や世論が決め付けてあげるのは、Identityを探る旅を意識し始めた彼らにとって、マイナス要素も大きいはずです。昨日の『10代が楽しいわけがない』に書いた通り、自我同一性獲得と自我同一性拡散は、たいへんなプロセスです。もっと大きく考えれば、人生の命題である、どこから生まれてきてどこへ行くのか、何のために生まれてどうして死ぬのか、自分のMortality-immortality(死にゆく存在か不死身か)などなどにも気づきながら、この先の人生を考えていくわけです。
そんな中、陳腐の100乗決まり文句で、「勉強をしなさい」「勉強ができたほうがあなたのため」「まともな人間はいい大学に入りいい就職をする、あるいは手に職をつける」などと、大人は10代を責めるわけです。「学生の本分は勉強」と言い放つ大人たちには、このような「一見将来のためを考えている」ことをたくさん言いますが、この一方的な押し付けによる歪みが、イマドキ流行のNEET(Not in Employment, Education, or Training)と密接な繋がりがあるのもわからないでしょうか?
一昨日書いたBleachersでの感動したくだりはいくつもあるのですが、10代のつらい時期に愛憎両方の感情を極端に持った対象であるコーチの死を思うに、「何度も何度も負けないようにやり続けること」「自分の限界まで勝ちうる能力を持っていることを信じること」 などなど、自分の人生の指標となるものをちゃんともらっている。体育会でなくとも同じです。私も10代のつらい時期にいろいろな人から今でもきちんと憶えており、実行もしており、裏切ってはいけない指標を数々もらうことができました。「勉強しろ」と言った大人たちからは、価値ある言葉はもらえなかった。むしろ、「勉強は自分のやる気がふつふつと湧いてきたときに、本当にできるようになって、震えが来るくらい楽しいよ」と笑顔で言ってくれたジェントルマンが、そのとき何を飲んでいたのかも憶えているくらいです。国立の工学部の大学生でした(笑)。
おもしろい番組があるのだなぁ、と呆れつつ見ていたのですが、漫画家の江川達也氏(彼はけっこう好きです。週刊モーニングに掲載されていたBe Free! しか読んだことないんですけどね・・・。無責任?爆)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B7%9D%E9%81%94%E4%B9%9F
が、『怒りおやじ3』に出ていました。http://www.tv-tokyo.co.jp/ikarioyaji3/ この番組を見たのは、2回目で、その前が小柳トムだった。不思議だなぁ、と思うのは、「なぜにわざわざ公共番組で他人に怒られたい人々がいるのか?」ということ。細木数子も相当に他人を貶していますが、これって風潮なんでしょうか?すごい・・・。
昨日の相談者はただひとりで、41歳のNEETでした。もうね、「ああ言えばこう言ういい見本」という感じのどうしようもない人でした。親御さんが自営をしており、自分は親の家業を継ぎたくないという理由で就職したが31歳で退職。その理由が、営業成績を上げるために自社の製品を自分で注文したため←(信じられないけど、本当にこういうことする人って実在するのね・・・)。人間関係がうまくいかなくなり、仕事の成績はまったく芳しくなく、自宅に戻るも、買い物依存症になり親にその借金を一括で支払ってもらう。その後、親のお金で一人暮らし開始。オークションで儲け始めたというコメントがあったが、実績はわずか平均して1ヶ月2万(7・8万の月もあったんですよ、とか言うんだけどね・・・)。そして、自分が経験してきたことは「トラウマ」だとほざく。他人の評価が気になってしょうがない。自分はニートピラミッドの中の中間層にいて、その中間層の幹部くらい、などとわからない理屈を「自分の論理はあるんですよ」と誇る・・・。
(あのねぇ、生命体の存続に危機を感じたのか?あのねぇ、トラウマってのは、自分の生命が危ぶまれる、または危ぶまれると思えてしまう行為を受けてこその心の傷なのだよね。日本人はこの「トラウマ」という語彙も、ものすごく簡単にお粗末に使う。冗談交じりに使っても、もしかしてその席に本当のトラウマを抱えていたり、トラウマを超えたりした人がいるとは思わないのだろうか?本当に無神経なBunch(人々)だと感じること多し。)
自分の夢や理想を持つことはいいことです。10代はその夢を広げて可能性を探るプロセスです。そして、自分の拡散性を知り、能力の限界や自分ひとりの力ではできないことなどへの境界線を見るプロセスも同時にこなします。そして、現実性と夢(あるいは妄想)のハザマを行ったり来たりするわけです。その振幅の差は自分で決めるものであり、大人たちが決め付けて与えるものではないのです。「こうあるべき理想の姿」を喧伝し、メディアでも流しまくり、男女の恋愛でも定義やトレンドを作り、という情況の中、決め付けられて与えられたものを素直に受け取った子どもたちが、大人になりNEETになるって気づいてよ・・・(汗)。ロクに傷ついてこなかったから、どん底を蹴った気分になったことがないから、だから、社会に出る年齢を過ぎて初めて傷ついてぐったりと倒れこみ、もう立ち上がらないんだよ・・・。
バイトをしてもいいし、遊んでもいいでしょう。何が自分の本分なのかは自分で決めればいいし、生きている限り、人は日々学習なのだと思う大きな人間になってもらうためには、当たり前の正しい意見を押し付けないことです。そんなふうに生きてきた人々が、お役人や政治家になり、人々を不幸にしているではありませんか。自分の道を選択して、しっかり足をつけて生涯を生きていくために、つらい10代のうちにやっておいたほうがいいことはたくさんあります。
- 一度も焼けつくような恋をせずに結婚した人が、のちのち不倫をして離婚する率はものすごく高い。
- 一度も挫折を味わったことがない人が、他人の挫折に共感できない率はものすごく高い。
- 一度も自力で稼いだことがない人が、いきなり社会に出てその世界を常識の基準に考えてしまう率はものすごく高い。
- 一度も遊んだことがない人が、大人になってからギャンブルや遊びにのめりこむ確率はものすごく高い。
などなど、例を挙げればキリがない。
くれぐれも・・・、人は積み重ねの存在です。何か致命的なことが欠落してしまうことがないよう、できる経験はしたほうがいいのです。人生はおかきやチョコレートの箱詰めです。好きなものを先に食べてしまうと、あとで必ず嫌いなものを食べねばならぬわけです。では、嫌いなものを食べるつらい10代を、自分でおかきやチョコレートを選べる環境を、ぜひぜひ、子どもたちに提供してあげてほしいと思うのです。そこで、好きなものばかり、ラクばかりをさせないように・・・。
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