私が犬よりもネコを飼いたいという気持ちを定着させたのは、小学校1年生の担任の小西イネ子先生が読んでくれた『小さいモモちゃん』『モモちゃんとプー』の2冊のあと、『モモちゃんとアカネちゃん』『ちいさいアカネちゃん』までの影響で、そのあとのシリーズ2冊を読んでいないとは!さらっと図書館に行って読んできてしまうという手もありますが、Kindle本の蔵書にしてしまう手もあるな・・・。
実は、もう35年から40年くらい、一文字も読んでいません。子どもを育てたら、そうした職業に就いていたら、読む機会は山ほどあったかもしれません。でも、内容をなぜかとても鮮明にまだ記憶していることが、自分でもとってもびっくりなのです。読み直しをしても正しく記憶している自信がある(笑)。
ひとつひとつの感性の肯定も、モモちゃんシリーズにもらったことは多く、ぷかぷか浮いているきゅうりが水疱瘡だと思ってしまって、糊(のり)をペタペタ塗り付けることなど、なぜママに怒られてしまうのか?と悲しくなったり、いっしょにモモちゃんと悲しくなったり、という当時の感情まで想い出せるのでした。
そして、私はプーのせいで、黒猫にこだわります。私の暮らしの中にも、黒猫のタンゴと鈴音が訪れてくれて、プーのような賢さがあるとなぜか思い込んでいるイメージから、彼らには迷惑を掛けているかもしれません(笑)。プーのひげをひっぱったり、「くー」という名前をモモちゃんが発音したのが「プー」だったからと改名することになったくだりにも、なぜかとっても納得したことも記憶に留まっていて、その頃の感情の肯定を、ずっとずっとし続けてきたんだろうと思うのです。
単なるいたずらなのか、単なる思い付きなのか。それともその行動や感情といっしょに自分が何かを学んでいるのか、と、ずっとずっと戦ってきたような気がしています。今でも同じなのだろうなぁ、と。
モモちゃんの初めての赤い傘と長ぐつのおかげで、ずっとずっと雨を待っていたのになかなか降らない雨のもどかしさ。その雨を、私は未だにずっと待っているような気がしないでもないのです。その雨が何なのか?それは秘密ですけども(笑)。そして、私は子どもの頃、傘をさしながら外で遊ぶような子どもになっていきましたが、今はそれがとってもよかったなぁとつくづく感謝しています。
ただ、小さいモモちゃんを読んでいる頃は、こんなに運動をしなくてはいけないと反省する日々が来るとは思ってもみなかったけれども(笑)。
未読の方はぜひとも読んでみてね!
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