Jan 6, 2006 に書いた文章です。
けっこう長いのか短いのか最近またわからなくなってきた人生の中で、私はこの屁理屈を捏ねる人々にけっこう遭遇してきました。イチバンやっかいなのが、「論理が通っていると信じ込んでいる屁理屈」です。
屁理屈:筋道の立たない理屈。道理の通らぬ理屈。
リアルライフでは避けて通れるものの、ネットでは匿名性の影に隠れており、さらに判断材料が文面にしかなく、簡単に切り捨てることもできないので、かなりの数を相手にせざるを得ない状況に、追い込まれたことがあります。
リアルライフでは、すぐに「学歴=頭のよさ」と大主張する人が、行きつけのお鮨やさんにいます。二言目には必ず、自分を学歴により卑下するのです。何度もきつく言ったのです;「人の賢さは学歴では測れない」と。「では何で測るのか?」問答もしました。納得したかのように見えても、納得してくれていなかったわけで、今でもたまに遭遇すると必ず、二言目があります;「どうせ俺なんか高校しか出てないからさ」と。そのたびに、「私の父は中学、母は小学校しかまともに卒業してないけど、○○さんより賢いよ?」と、ひどいことを言います。学歴神話は、彼だけではない世界的現象なのでしょうが、すでに辟易しています。
なぜ「学歴が高い人は頭がいい」が屁理屈なのかわかりますか?
まずは「頭がいい」の定義をはっきりさせていないことが、すでに破綻しています。「何を以って頭がいいとするか」は、絶対値ではないので、各個人が決めればいいです。それによってその人が賢いかどうか?というのがわかってしまう、というのもかなりきついことですが・・・。が、Aは真理である、なぜならば、を始める前に、Aとはそもそも何かを定めておかなければ、そもそもの論理は成り立ってはいかないのです。その定義によっては、私は賛成しないけれども、全体的論理は通ることだってあります。その場合は、定義がおかしいことをさらに証明せねばならぬので、私のほうに負担がかかってきますね(笑)。
学歴が高ければ頭がいいとは限らない(推論の逆)を証明するのは簡単です。ひとつには、学歴の高い人の例を挙げて、その人がいかに頭が悪いかを並べ立てればいいわけです。ひとつやふたつではダメですね。統計学にしろ、バラつきはあり、それは特例だとされてしまうからです。ランダムチョイス(無作為抽出)をした場合の例を挙げなければならないです。ふたつめとしては、学歴を高くするために、本当に頭がよくなることをしたか?という証明崩しをすればいいわけです。たとえば、エスカレーター式で受験をただの1回しか経験していない場合、その賢さが続いているかどうかは、数値として出ていない限りは対してアテにはなりません。しかも、それが賢さを判断することが難しい幼稚園や小学校や中学校での試験であればなおさらのことです。なぜならば、「人は変化する」は誰にも反論できない普遍性を持つからです。あるいは、難易度は高いですが、賢さの定義からIQなどの賢さの測定値についての穴を並べてみるのもいいでしょう。他にも、学歴が低くても賢い人が実在する例を挙げるなり、学校に行き続けるにはお金がかかりすぎてしまうことを証明すれば、さらに意見は強化されます。
私が大卒になったのは、40歳になってからです。それまで大学中退だと思っていた大学除籍でしたが、自分が、「学歴がゆえに賢くない」と思ったことは一度もありません。それは、高卒だとみなされてしまう学歴でもあり、専門学校卒であれ、中卒であれ、あまり私にとっては変わることではありません。なぜなら、学歴で賢さは測れないからです。東大のようにいい学校を出たにしろ、私はすべての人を賢いと認めるものではありません。パートナーの学歴も高いですが、彼は常々、彼の同窓生たちよりも私のほうがずっと賢い、と話していました。私が第二言語にて東大よりいい学校と認められる学校を出た際に、「ほーらね」と楽しそうに笑っていました。私は、「賢さは学歴ではない」を証明するためにも、30歳過ぎてから大学に戻ったはずなのですが、実際は加担してしまっているのかもしれません。がゆえに、お鮨やさんで遭遇する男の人はそう観念してしまうのかもしれないです。
ただ、そう思ってくれる人がやたらと多いがゆえに、商売をやり始めてラクな場面が多くなるのは事実です。英語ができたり、学歴が高かったり、スペイン語や北京語をかじれる程度しかできずとも、それなりに誤解されてしまうからでしょう。そして、たまに以前の私のような学歴が(まだ)ない賢い人に会うととてもワクワクします。
こう書くと私が自分を賢いと自負しているように読めるでしょうが、私は世界人口の上位半分以上に属すくらいには賢いと思っています。それは学歴のせいではありません。私なりの賢さの定義にての見解です。が、私はあくまで「勉強を続けるがゆえに賢い」のであり、留学もせず勉強をやめてしまっていたら、世界の半分以下のほうに今頃属していたでしょう。
他にも世界は屁理屈で溢れています。そして、その屁理屈を理屈だと思い込んでいる人たちに、耳を傾けてしまう愚民もとても多いのが残念です。見てもいないのに、全国ネットで鶏の卵の産み方や暮らし方を言い放った人(細木数子だよっ!)の本、私は買ったことがありません。他人の人生に対してあれほど確固たるアドバイスをし(コレしか道はない的な)、それでいてしっかりしたバックアップがないことを露呈したようなニュースでした。ただ単に「辛口で辛らつな物言いが好き」ならば、自分がそうなればいいことだと思うのですが、なぜ、彼女をあのようなすごいシュミのダイヤやドレスを買えるくらいに肥やしてあげなければならないのでしょう?と、私はいつも思っています>今回帰国してさらに思いました。占いそのものが統計学であることは重ねて書いていますから、「ゼッタイ!」を連呼する人はお願いだから疑ってよ・・・(笑)。
最近でものすごい屁理屈男は、Tom Cruiseです。彼がどんな宗教を信じようと勝手ですが、それを説いてまわり、自分の主張が正しいことを曲がった屁理屈で通そうとするのはやめていただきたいものです。彼の論理だけを見ずに、認知度や経歴やイメージだけでそれに騙されてしまうことが未だに多いと困ります。たとえば、「Psychiatry (精神病の類を学問とする分野)はすべて役に立たない。薬を飲んで治るわけがない」とものすごいことを言い放ち、マタニティーブルーで抗鬱剤を飲んだ経験のあるBrooke Shieldsともう数ヶ月にも渡り、マスコミを介した合戦をしています。私はそもそも彼が売れたとき(Top Gun)から、彼のことが嫌いなのですが、世の中はしばし彼を信奉しました。Nicole Kidmanと別れてから評判はどんどん落ちてきましたが、まだ彼の言うことを信じる人たちは多いようです>ニュースになるんだもんねぇ。
まともな屁理屈にもならない言い訳をたくさんする人もいます。おもしろければ寛大に聞いてみるのもいいです、私はそうしています。が、おもしろくもなく、たくさんのいろいろな人を傷つけるようなことを言い放ち、さらに問い詰められると換言したり、正当化に走るようでは、やはり屁理屈の範疇を超えません。屁理屈と論理の違いはわかったほうがいいのです。ひとつの大きな自己防衛です。
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