04/06/2007 にアップした文章です。
私は、この年齢になるまで、この人を知らないで来ました。たまーに、誰かの話に上っていたことは記憶にあるのですが、「幡随院長兵衛みたいな」とか、「幡随院長兵衛じゃあるまいし」などと、たいへんに曖昧に使われていたので、江戸時代のヒーローくらいにしか考えておらず、詳しい物語は知らないで済ませて来てしまいました。こうした怠慢のツケを、いまさらながら回復できたのは、日本に久々に戻ってきて、あまりに時代小説がなつかしく、池波正太郎を読み始めたからなのです。よかったよぉぉぉ。
さて、池波正太郎ですが、4月6日の金曜日、フジテレビで、鬼平犯科帳がやるんですねぇ♪うわーい!http://wwwz.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2007/07-069.html ふむふむ。一本眉かぁ、憶えてるぞぉ。うれしいな♪
私が好きな山本周五郎作品の中に、『おたふく』というシリーズものがあり、3本から成っているのですが、その中にも、「幡随院長兵衛じゃあるまいし」という台詞が出てきて、どうも気になっていたのです。ありますよねぇ、聞きたいけど聞けなかった質問だとか、気になっていたけれどもそれほど一大事ではないので、かなり長く放置していた、とかいうこと。幡随院長兵衛は、私にとって、その中のひとつでした。他にもいろいろあるのですが、きっとそれらも時代小説を読んでいけば、きっと晴れることがあるでしょう・・・。
そこで考えたのが、「私は歌舞伎に詳しくないからいかんのだ」というもの。2・3回見たことはあるのですが、出し物が、素人考えで、「お家芸」ともなっているものだったので、勧進帳と曽根崎心中だったかもしれない。そこらへんももううる覚えなくらいで、いやはやいかんです・・・。時間にゆとりができたら、今度はきちんと行ってみるべきだろうなぁ・・・。アメリカ人の社長通訳を3ヶ月ほどやるので、それくらいのことは知らないといかんだろう・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%A1%E9%9A%8F%E9%99%A2%E9%95%B7%E5%85%B5%E8%A1%9B 幡随院長兵衛とは、実在の人物だったのですね。すごい転身をした人なのです。武士から、日雇いの口入れやさんになり、「任侠」の基礎を作った人です。私は、池波正太郎の、『任客』を読んだのですが、史実を他のネット情報で照らし合わせてみると、池波正太郎のストーリーは、ちょっと違うらしい。http://ww71.tiki.ne.jp/~banzuiin/ 子孫の方らしいのです、このページ責任者。http://www2.rosenet.ne.jp/~spa/kabuki/html/ess/ess153.html これは歌舞伎演目のもの。http://ouchi.fhl.ne.jp/ 唐津の観光協会ページ。
池波正太郎説は、幡随院長兵衛が6歳のとき、武士であった父親は寺沢という大名の重臣であったもので、その若殿を諫めようとして失敗し、脱藩したのち、江戸に流れ着いたが、その若殿一味に父親が暗殺され、その背景をまったく知らなかった息子の伊太郎が、父の敵を討つために謎解きをする、というものなのです。が、史実は、父は九州で死んだとか、切腹したとか、諸説あり、どれが本当のものなのかはわかっていないようです。
私は、そもそも、男気・男伊達・任侠などという言葉に、やたらと憧れる癖があり、かっこいい!というのは、こういうことだ、という理想があるので、そんな役ばかり演じてきた高倉健はどうしても好きだし(笑)、どうしてこの年齢まで、こんなにかっこいい人を知らなかったのだろう、と、歯噛みをするくらい悔しい気持ちです(笑)。
まずかっこいいのは、武士に生まれて育った過程で、自分の父親が何も語らないことについて、まったく文句を垂れないところですか。それでも、父の敵を取るのですから、生命を賭して父親を愛しており、尊敬していたことになります。訊かずとも全幅の信頼を、親に持てるというのは、本当にすごいことで、今も昔もそれはたいへんにかっこいい。見栄や酔狂や、武士の道だから、という理由ではないことは、物語を読み進めていくとわかるようになっています。自分にとっての正しい道が、最終的には武士の道に合致しただけ、というのを、きちんとわかっていただけるようになっているわけです。そこが、作家である池波正太郎のうまいところなのかなぁ←私、うまく手玉に取られているんでしょうか?(笑)
その敵討ちを果たすために、いろいろな人が尽力してくれるのですが、それは、人脈ということではなく、義理や人情をわかっている人々と出会えたことを、何よりきちんと生かしてきたからこそ、の宝物なのでしょう。私には、愛嬌がないのですが、きっとこの伊太郎には愛されるべき愛嬌があり、父の伊織もたくさんの人を助けてまっすぐに生きたからなのだろうと思われるのです。
さらに、父の敵討ちを成し遂げたあと、あっさりと、士分を捨ててしまえるところがかっこいいのです。そして、町人になり、口入れや稼業を、お世話になった、同じく士分を捨ててその事業を開始した人の娘(実際は孫)といっしょになり、盛り上げていくわけです。開業した人は亡くなるのですが、その人がやっていたときよりも大きくし、侠客の基礎を創り上げていくのです。商売の仕方も地道であれば、武士の悲しさを知っていたために、みなが倖せになる道を模索しつつ、最後には殺されるのです。
史実として、水野十郎左衛門が幡随院長兵衛を、湯殿で殺したことになっていますが、池波正太郎ストーリーはちと違います。織田信長を殺したのが、明智秀光になっているのと似たようなものなのでしょう。実際には、織田信長の遺体は出てこなかったし、裏切ったことは事実で本能寺に戦を仕掛けたことは事実ですが、手を染めて殺してはいませんし・・・。
立場というのは、本当に難しいもので、生き方が回りや時代に定められてしまうような場合には、もうそれしか選べないというのが、切ないです。が、幡随院長兵衛は、己が人生で、転身をし、士分から離れて生きる道を探したのですが、士分の苦しさつらさもわかっているがゆえに、最後には、信頼していた水野十郎左衛門の屋敷内の湯殿で殺されることになってしまいます。そして、その後、水野十郎左衛門も特に誰かに責めを預けることなく、思い切りよく切腹して死んでいきます。これもかっこいいことです。
このあと、同じ大成に入っている、『編笠十兵衛』を読んだのですが、それには「赤穂浪士」について、たいへんに詳しく書いてあり、毎年12月のあの季節には、もう少し襟を正して時を過ごそうと、決意するに至りました。そこでも、主人公のおかげで「自分に向いた生き方」を選択できる人も登場したのですが、やはり、ほとんどの人々が縛られて暮らしており、いろいろ考えさせられたわけです。今ならば、封建制度ではなく、職業も自由に選べるのだから、ぜひぜひ、このことに感謝し、自分に向いた生き方をしてほしい、と、みんなに対してなぜか強く願ってしまいました。私は、あんなに情熱を賭けたパイロットのライセンスも使わず、なんだか楽しく暮らさせてもらっており、それもこれも、西さんと出会えたがゆえだなぁ、と思うのです。「やってみたらいいじゃない」というのが、西さんの口癖になっており(笑)、私は本当にいろいろなことをやってきたなぁと思うのです。西さん以前には、父と母がおり、彼らも私を制約しようとはしませんでした。そんなわけで、パチンコの才能があることも知れたしね(笑)。
しかし、幡随院長兵衛おそるべし。かっこよすぎますよ・・・。同じ大成の中にあった、近藤勇が霞んでしまいました。なぜに、新撰組はこんなに人気があるのだろう?と、どうもそのあとに読んだ幡随院長兵衛と比較してしまう始末でした・・・。やっぱり、男伊達じゃーないとねぇ。「卑怯者は大嫌いだ」と胸を張って言える人間でいつもいたいと思うのでした。
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