03/20/2007 にアップした文章です。
熟年離婚について、私もエッセイで以前書いたことがあります。さりげなく、見過ごしていて話題にしなかったのですが、いよいよ来月から、年金分割が開始されます。初めて報道されたのがいつだったのか・・・。私がアメリカに居た頃だろうということはわかるのですが・・・。年金支給額が多い層である男性諸君は、今、熟年離婚をどんなに脅威に感じていることでしょう。想像すると気の毒にすらなります。無論、「身から出た錆」であれば諦めてもらうしかないものの、やはり、私が以前から言っているように、現代は女性のほうがいろいろと陽の目を見られる時代になっているのだ。
http://www.sia.go.jp/topics/2006/n1003.html
経済的理由だけで、婚姻を続けている女性は多かったのだろうと思うし、いくら男女雇用がだんだん差別をなくしていこうという方向になってずいぶん経ったとしても、まだまだ男女の差はすべてのエリアにしっかり浸透しているわけではないので、この、国からの支給金による離婚の決意は、増えるのかもしれない・・・。あくまで個人レベルのことなのか、あるいは、ここで意識的なものも調整しているのか?皮肉なことを考えがちかもしれない私には、2007年からの離婚率とその年齢層は、ぜひぜひ見てみたい気分になるのであった。
西さんと長い別居を開始したときには、「離婚した場合には」という項目をつけた遺書を書いてもらっていました。当然のごとく、西さんはフェミニストなところがあるので、いや、フェミニストではなく、公平主義に徹したいというところなのですが、「年金はすべて譲渡する」というものを作ってくれていました。無論、以来事情は変わり、私も厚生年金を支払う身分となりましたので、その条項は変えなければなりません。が、これまでの蓄積が違う。これについては、西さんは「あげるよ」と言ってくれるでしょうが、どうしたもんだか・・・。離婚する予定などありませんが(笑)。転ばぬ先の杖、なので、どうも考えてしまうようです(笑)。
ただ、年金分割をじっと耐え抜いて黙って堪えていた女性というのも、相当に哀れです。熟年離婚のときにも書きましたが、生き続けている限りは時間だけはどんな人々にも平等に訪れます。「じゃぁ、時差がある旅をしたらどうなの?」と突っ込まれたらどうも説明が面倒にはなりますが、24時間は24時間で、あとは気の持ちようや使い方の上手さで変化するのみです。離婚を決めてからも同じ屋根の下に住み続け、家事をこなしたり、パートにでたり、子どもを育てたり、と、日常を繰り返していくことは、果たして耐えられることなのか?私にはできそうにありません。が、この世には我慢強い人々はいくらでもいるのだ。『剣客商売』でも、敵(かたき)を狙って諸国を旅している人物が何人か登場しますが、その中で最長だったのは、28年。すごい・・・。家は取り潰しにはまだなっていませんでしたし、男兄弟がいる場合には家督権利を譲ってでることもあるのですが、厳密には、敵討ちが叶うまでは、双方の家は宙ぶらりん状態で、いずれ取り潰しになります。人を追う暮らし・追われる暮らしというのが、精神的にきついものであるのはもちろんです。敵意を持ちながら、同じ屋根の下に暮らしていくのは、私には到底想像がつきかねますが、「あり」なのでしょう。
戻ってこない時間を、さらに未来のために犠牲にし、嫌いな人間と暮らすことを決める。できる人とできない人がいるのでしょうが、統計的に熟年離婚が増えているのは、できる人もかなり多いことを示しているのでしょうね。あるいは、ご主人が退職するまでは、本当に心から感謝していたのかもしれないし、人生なんてこんなもんだと少し諦めもあったのかもしれませんが、いっしょに居る時間が多くなってから「とても耐えられない」と堪忍袋の緒が切れたのかもしれません。
熟年離婚について考えているブログはけっこうあります。
http://jukunen.3income.net/
http://www.sla.or.jp/check/rikonn0312.html これ、危険度チェックがあるのでぜひどうぞ♪ ちなみに私は危険度はたったの6%でした。ふぅ、よかった♪
http://www.nattoku0313.com/jyukunen/
今朝もワイドショーでやっていたのですが、この3つ目のリンクにあるような「熟年離婚を回避するためのセミナー」のようなものが、どうも流行しているらしい。妻や夫と対峙する方法を、プロに教えてもらわねばならないらしい。うーん、いいのか?しかも、お金を取って開催している側がプロであるのかどうかは、私としてはわからないところだ・・・。脳に関するさまざまなことも、かなり手抜きが多いのだもの・・・と、昨日TVをちらっと見ていて思ったのです。
そもそも、「妻に対して関心を持とう」などと言われなければ持てないのか?と、不思議すぎる疑問が湧いてくるわけです。恋して結婚し、愛して子どもを作って、愛をでかく育てていっしょに歩んできたわけじゃないのか・・・。「妻のことを名前で呼んだことがなかったけれども、今後はちゃんと名前で呼ぶ」などと、もうごくごく当たり前のことを、いまさら言ってみているのはなぜなのか?団塊の世代の方々が多いのでしょうが、どうしてこんなに大切なことを、すっぽ抜いたまま生きてきてしまっていたのか?企業戦士だと驕っており、内助の功に感謝することもなく、子どもは自然に育つと思っていたり、パンツはどこかに生えてくるものと思っていたりしたのか?
いやいや、もちろん遅すぎるというのが、妻に感じられなければ、気づいて改良しようとする態度は評価します。けれども、25年や30数年もの長いあいだ、どうして時代や意識や大切な人間関係の変化に気づいてこられなかったのか、たいへんな疑問なのです。
そして、そんな夫を放置してきた妻のほうにも、やはり責任配分はあると、私は思うのよ・・・。厳しいかしら?何度も何度も不平や不満を持ったにも拘わらず、言い出せなかったのは自分のせいもある、と認められるのかどうか、ここは、子育てにも影響したのではないかと思うのです。パワーを使う要領を、自由や権利や時代の流れで、姑息に身につけたとみなされても、開き直りや論理的説明ができる人たちはどのくらいいるのかな、と、考えてみるのです。お金=パワーのひとつ、だからね・・・。
お金をあげてしまうのは惜しいから、自分の身の回りの面倒はいまさら覚えられないから、などという理由で、死ぬまでいっしょに居るのではさみしすぎます。そもそもなぜ恋に落ちたのか、甘やかに思い出すことがあるのでしょうか?単純な男尊女卑問題などではないし、マスコミ報道のせいでもないし、年金制度が変わるから、という理由ではなく、自分の選択とその責任、さらに学習し進歩し、幸福を追求する姿勢に問題があったことを、ぜひぜひ認めてもらい、この先こそは、しっかり行動してもらいたいと、願うのです。その途中で、子育てをしたはずなのですが、子どもたちが大人世代になり、この国を担っていく年齢になっていることも注目です。親の背中を見て育つ、が是であるとしたならば、やはりこの先も熟年離婚は減ることはないのでしょうか?
私はあえて離婚して俄を通そうと思わなくなりましたが、一度離婚したら二度と結婚などしたくないし、ひとりで食べていけるための準備は、西さんといっしょに居ても怠らないようにしています。子どもの頃からの習性ですが、「働かざるもの食うべからず」は死ぬまで続きそうです。
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