2006年くらいに書いた文章です;遺書を書いていることなどについてタイトルにからめてあります。
この世で私を必要としてくれていると思い込んできたのは、我が家のネコたちだけなのですが、長い出張に3週間と5週間行き、どうやらSubstitute(代理;ビジネスパートナーにキャットシッターをしてもらいました)をかなり深く愛していることを発見してしまい、ちょっと傷ついているところです(笑)。うーん、思い込みだったようだ・・・。
私が死ねば、私の母やパートナーや友人はとても悲しんでくれると思いますが、私がいなくても彼らは立派にやっていけます。自立した大人なので、大丈夫です。だからこそ、私は彼らと袖を振り合わせつついっしょにいるのです。ネコたちのことも遺書に書いてあり、私が死ねばパートナーが全面的に責任を以って愛情を注ぎ、いっしょに暮らしてくれるのですが、彼も死んでしまったら、ビジネスパートナーの彼にもらわれていきます。なんか、最近、TVを見ているときも、彼のほうがバタバタ動かないので、彼の膝に乗るんだよなぁ。私が呼んでも無視されること多し・・・(汗)。
遺書を書いているところがすごいって?(笑)>お金はロクにないのですが、生命保険やその他、さらに地小学校5年のときから使っている爪きりや、何年もかけて溜め込んだ学校のノートやPCに入っている個人データなど、心配なので、ちゃんと書き残しているのです。さらに、植物状態になったときには、裁判に持っていき他人に決めてもらうのではなく、その時点の医学で解決できない状態ならば、ぜひとも尊厳死させてほしいので。
と、えらそうなことを書いていますが、私は父が死んだとき、29歳で、丸1年以上アル中になりました。1日も休みなしで390日くらい毎日飲み続けたかなぁ。私が「必要とされる存在神話」を打ち破ったのは、その時期です。「私は父をいつまで必要としなくてはやっていけないのだろう?」から始まり、「こんなにボロボロに飲んでたら父も歓べないよなぁ」と思いながらも、涙が枯れることはなく、父がいない現実から逃避したくて、毎日飲んでいました。
彼からDNAを半分もらって生まれた私は、渡米するまでずっと同じ屋根の下で暮らしました。いっしょにいるときは、あんなに自立したがって育ち、家にお金を入れながら、お金を貯めながら、ケンカだらけの日々も経ました。やっと物理的に離れて暮らしたのに、こんなに早く存在がなくなってしまうとは思わないでやってきていました。転移したガンが原発の胃からリンパにまで乗り、もう助からないことはわかった時点から、できるだけのことをしてきて、後悔はなかったはずです。それでもとても悲しく、大きくえぐれたように開いた穴は塞げそうにありませんでした。
そこですーっとわかったことがあるのですが、父は常日頃から「必要とされること」にこだわっていたからなのだ、と。欠点も多かった父は、劣等感の裏側として、秀でていることを誇示したり、家長であることを貫いたり、宵越しの金を持たなかったりと、私が幼い頃はそれらは裏目うらめに出ました。私はそれらに従順に屈することなく、21歳まで暴力を振るわれながらも、ずっと抵抗しました。父には、私が言葉にできないような美徳が山ほどあり、私は確実にそれらはもらっているので、暴力に我慢し続けたわけではない、自分のIdentityは保ちたかったから、家から去らなかった、去るならば、きちんとした形で去りたかった、の葛藤で留まっていたわけです。自分のその後の人生のためでした。そして、父に打撃的だったのは、私の経済的自立でした。数年隠していたのですが、私がバイト先の給料明細をまとめて見せると、21歳のある日以降、殴らなくなりました。「誰のおかげで飯が食えるんだ!?」がもうこれ以上通用しないことがわかってしまったからです。そこで、彼の「娘に必要とされること」の糸は切れてしまい、その後、母にも弟にも優しくなり、渡米の決意を伝えた私のために、NHK講座で英語を独学し始めました。ここで、彼の頭のなかでは、「娘を必要とする父」に構図が変化したのだと思います。
誰しも、ある場面で誰かに必要とされ、必要とすることはあります。でなければ、社会動物として生まれてきた醍醐味を使い切っていないことになります。が、誰かがいなければ、人生が続けられない、という幻想は捨てたほうがいいでしょう。私は1年以上のアル中を続けることが学習に必要でした。ネコたちの誰が死んでも、私はやはり打撃的なダメージを受け、日常生活がまともに送れなくはなるでしょう。けれども、失った経験はすでにしたことなのでその準備はしているところです。
カケラかけらをもらい、そのときにしてもらったことや与えてもらった物事は、どんどん循環させていけばいいのだ、という結論に至ったのは、連続飲酒を止めたときです。父がくれたものを私は確実に誰かに手渡そうと決意しました。もちろん、他の方々にいただいたものも然りです。あふれるほどの何かが私の中にあれば、私はそれを惜しみなく誰かに渡し、私という器に何かが足りないときは、エネルギーにあふれている人からもらおう、と思うようになりました。物理の「エネルギー一定保存」の法則です。ある場所では、水は川に溢れ、海へと流れ、蒸発し雲となり、雨になり、山には雪を降らすように、「必要とするもの・されるもの」は、常に形を変えて、人から人へ、生命体から生命体へ繋がっていればいいのだ、と思うことにしました。お金に対しても私は同じ考えを持っています。バンバン使い、使った分だけきっと形を変えて戻ってきてくれるに違いないと信じています。
なので、固定的に私には父が必要だ、パートナーは私を必要としている、とは思わなくなりました。子どもがいてもたぶん同じだったと思います。子どもには子ども同士の遊びが必要な時期や場面が大切なように、大人もべったり子ども一筋ではなく、人生のなかでのいろいろな大切な部分を満喫したほうがいいことが確実にあります。固定的な観念である「人生においてどうしても不可欠な人々」を決めてしまうと、「自分が誰かにとって不可欠な人」になると、自分で自分の首を絞めていることに同義となります。確かに生みの親は父母ひとりづつしかいないのは事実です。が、そういった固定観念を持つと、もしもの養子先の父母も胸を痛める度合いが深くなり、親が2人以上持てて倖せだという考えに翳りをもたらします。
私はアルコール漬けになってやっと学べましたが、自分が自分でい続けられない限りは、誰にも必要とされる時や場面は来ない、と思い返し、生涯治らないアルコール依存症に、今は週に2回以内Social(社交的)に飲むだけ、という規制を掛けています。
ところで、人生の伴侶を亡くした母は、私よりずっと強く反応し、私は彼女からもいろいろをいまだに学んでいます。それは別のお話なので、またの機会に。
人生がスムーズに行くはずなように、先人が与えてくれた知恵を、まだ私も本当には使い切れていません。そのへんの大人が「必要とされて生きていくことは大きな倖せなのよ」と言ったら、私は今ならば、理路整然と否定し、注釈をつけることができます。確かに、必要とされることは気持ちのいいことでしょうが、実際は、相手が自立するチャンスも同時に奪っていることは認識したほうがいいです。私は必要とされる場面にいつも対応できるよう準備していきたいですが、他人の助けをいつもいつも必要としない人々とおつきあいするほうが、私にはぴったり来るようです。私も他人の助けを必要とする場面を、極力少なくするために、今日も意固地に新しいことにチャレンジしています。
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