忘れる能力が極めて希薄だと思い込んでいましたが、最近になって考えるに、いやいや、若い頃から自分を守るために忘れていることはけっこうあるよね、ということに気づいてきました。この年齢でわかってきたので、認知症のはじまりでは?と、母などは負け惜しみ的発言をしていたのですが、彼女にあまり始まっていないのに、遺伝子学的にもまぁ、それじゃーない、はず・・・。
先日、話に出たのですが、私は自分が迷子になった体験があると信じていたのですが、どうやら、一度もなかったらしい (・・;) 自分で自転車やバイクに乗れるようになってからした体験を、ただただ改ざんしていただけのようでした。なんて間違った記憶だったんだか!
このようになかったことをあった、と思い込むことがあるのですから、あったことを忘れることなんて、軽くたくさんあるだろうな、と思い至ったわけです。非常に他者を傷つけてきた、という自覚はあるのですが、そこまでひどいことを言ったか?ということに関しては、やはり記憶を埋もれさせてしまっている可能性が高いです。
かたや弟は、相当回数迷子になっていたり、砂場に据えたはずなのにもういなくなっている状態などが日常的に起きていた模様です。私は一度場所に据えると、かなり真剣に集中的に遊んでいたようで、むしろしつこい子だった様子・・・。この飽きっぽいワタクシが?と、かなりびっくりすることもあり、やはり親孝行の直接的行為は、自分が子どもだった頃のことを訊くことですね→ これは、心理レッスンの6:発達段階で、生徒さんにお話しすることです。ええ、日々実体験していくワタクシです。
今もフラッシュバックのように思い出すのが、US到着後すぐの1988年あたりから1993年くらいまでのことで、1994年1月に父が亡くなっているのですが、その前にいったん帰国したので、ここまでのUSの記憶はかなり鮮明に思い出せるのです。毎日100近くは新たなことを脳内に入れ込んでた時期です。単語なんかの細かいものも入れて、ですけどね。バカだった私は、7-11がそもそもUSから日本に上陸したことすら知らなかったんですから、山ほど学ぶことだらけでした。鹿の雄雌の見分け方やら、アメリカ人のバックグラウンドチェック(同じ白人でもドイツ系・フランス系・ロシア系・イタリア系・アイルランド系などなど)だとか、文房具やら、子どもの遊びやら多岐に渡ります。
あれだけがんばれたんだから、がんばれないわけがない、と思い出すこともあるのに、たまに忘れます(笑)。あんだけけなげにがんばれたんだから、できないわけはないじゃないか!と、たまーに思い出すんですが、あまりに疲れてしまうと、ちょいと忘れてますね (・・;)
ただ、その中にもものすごくイヤだったこともあるんですね。でも、なんだか思い出せない。強烈にまずいことがたくさんあったし、恥ずかしいくらいに無知すぎて指摘されたことに感謝できないまま悪態をついたこともあったはずなのです。が、都合がいいことにそれ、忘れてしまっていることもけっこうな数あるのです。いくつかは記憶に留めているのですが、全部を思い出すことはない、反省のないままになっているのも、まぁ、いいか・・・と非常に楽天的にやっているわけです。
それくらい、忘れる能力は大切なのかもしれませんが、誰かの人生を捻じ曲げてしまっていたことを忘れていたらどうしよう・・・と思うことしきりです。もしあったら、ぜひ叱責していただければ幸いです。そして、このまま認知症にならぬよう、毎日脳をフルに使っていく新たな決意をしているところです。
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