01/14/2007 にアップした文章です。
はぁ、久しく恋は実地として、していませんなぁ・・・(笑)。どうも近頃では、この先、逢えない人以外に、そんな気持ちを持つのは、生涯西さんだけかもしれない、などと、不安さえ募ってまいりました・・・(汗)。アイスホッケーのJoe Sakicのことを想えば、やはりドキドキで、涙が出そうになるのです。が、しかし、ナマミで会えて、実際に「触れなば落ちん」の距離感に、その恋しいお方が現れるとは、どうも思えない・・・。コレが「枯れた」ということなのなぁ、と、ふと考え詰めている今日この頃です。しかも、西さんへの恋情は、純粋な恋というよりは、もうそびえ立つ摩天楼のようないろいろな愛情の種類が混在しているでっかいもので、恋を抜き出すのは、笑えるほどに困難かもしれません←これって問題だと思う?
これも昨日書いた山本周五郎のテーマ・コレクションのひとつです。全部で、10あるので、すでにここに書いておきます。
・ 風雪:軍国主義の風雪と歴史の試練を耐えた
・ 無償:封建的自己犠牲ではなく、償いを期待しない純粋な魂の行為
・ 歳月:歳月は人を強くも弱くもする、降り積もる時間の重みを描く。
・ 夫婦:夫婦の波瀾や危機、破局を通して夫と妻という人間の絆の意味を問い直す
・ 痛快:生活のリズムや価値観のズレが生み出す(笑)
・ 武家:苦悩する武家社会を描く
・ 恋慕:女性の心と身体を分析した
・ 抵抗:「人が人として生きるためにこれだけは譲れない一線を件名に守る人々
・ 下町:人々の別れと出会いを、下町を舞台に
・ 晩年:シリアスな笑い、無常観、晩年に到達した人生の境地を、絶望ではなく、理想世界として昇華
この箇条書きを見て、読みたいな、と思っていただけるといいんだけどなぁ。
コメント欄にも書きましたが、山本周五郎は、直木賞を蹴りました。その一事(いちじ)だけでも、私は彼が好きですし、不平を(さほど)漏らさず、与えられたありのままの現実を必死で生きながらも、この先に希望を持ち続けようとする主人公たちが好きです。テーマが何でもこれは変わらず、人として生きる道を教えてもらいました。一見、時代劇というと封建的なようですが、この恋慕というテーマにしても、当時としては型破りなほどに、「性」について触れています。『樅ノ木は残った』のラストシーンはすごいですよ。性的感覚の描写ですから。NHKの大河ドラマでは、ラストシーンはそんなふうに見えなかったのですが、それは私が子どもだったためでしょう(笑)。あるいは、脚本を変えていたのかもしれず…←こうした疑惑はしょうがないよね(笑)。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%91%A8%E4%BA%94%E9%83%8E
岡場所(売春をするところ)で、身体を売っている女性が、どうしても身体と、さらに心のどこかで惹かれてしまい、10年も「鞍替え」(他の店に勤める場所を変える。そのたびに精算をし、支度金や前金等が動く)を続け、年齢と共にどんどん、場所のクラスが落ちていく、というところは、知っている方も多いかもしれません。ブログの前では、さるさる日記、その後はブログで、風俗嬢のものはランキング上位を占めています。ここで、私が思うのは、今も昔もそうは変わらないということ。着るものや食べ物に身体を張ったお金を使ってしまう女の人もあれば、小銭を隠しに隠して貯め続けて仕送りする女の人もあれば、いろいろな事情からその職にたどり着きます。中には、「この商売が根っから大好き」という人もいます。
私は以前書きましたが、風俗に対する偏見は持っていないので、娘が仮に居たとしてやりたいと言ったら、一度じっくり話した上で、本人に選んでもらいます。姪っ子でも同じです。友だちでも変わりはないです。周五郎作品にも出てきますが、茶店や岡場所で、「割りのいい仕事」を選ぶ娘たちもいれば、どんなに高値で値踏みされようとも、肉体労働で生きた娘たちもいるのです。それは彼女たちの選択であり、誰がどうこう言える問題ではないです。
人間は積み重ねの存在だから、「元に戻す」「時間を戻してきれいなままの身体にも戻る」「経験をきれいさっぱり忘れる」ということができないのが因果です。その譲れないポイントの真意さえわかっていれば、私は特に他に言うことはありません。まぁ、向き不向きや好き嫌いや健康維持のことについては、相手がわかっているのか、ひとしきり質問することでしょうが、威圧して心持を変えようとは思いませんね。
その職業に就いてからも、騙される人もいれば、要領よくやっていく人もいる。途中できっぱり抜け出す人もいあれば、若い命を散らす人もいる。大した変わりはないです。ただし、江戸時代に比べれば「自分の理由で職業を選ぶことができるようになった」という点が、大きく違うかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E3%81%AF%E8%A6%8B%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F 『海は見ていた』という映画です。脚本が黒澤明なので、アメリカのケーブルTVに来たのでしょうが、私はコレを見ています。映画では、山本周五郎の3作を、同じ登場人物で織り交ぜて作ってあります。原作は;『ほたる放上』『なんの花か薫る』『つゆのひぬま』の3本で、後ろのふたつのテーマは『抵抗』なので、別の本に収録されています。世界のクロサワがすごいのでしょうが、やはり3作をひとつにするのは、少しだけ読んだものとしては違和感がありますが、本を読みたくない・面倒という方はこちらでどうぞ♪
『ほたる放上』が、10年間ものあいだ、鞍替えをさせられた28歳の岡場所を落ち続けた女が主人公なのですが、「商品」として価値がなくなった彼女から、若い女の子にそれこそ鞍替えしようとしている情夫は、都落ち(この場合は江戸から地方の岡場所へ)を切り出すときに、蛍をかごに入れて持ってきます。川のまん前にある店に勤めているにもかかわらず、です。その蛍たちは、岡場所に閉じ込められた女を比喩しており、蛍を放つシーンはじーんと来ます。そんな騙されているとわかっていて、騙され続ける女に、落籍せてくれて、さらに結婚しようと言ってくれる男がおり、その人は恋慕ゆえに彼女を最後まで守ろうとするというお話です。
山本周五郎テーマ・コレクションを読み、すでにもう30ストーリーくらいを読み終えたのですが、ここのところのくさくさした気分が晴れました。日本は寒い!腰に悪い!などと感じていたのですが、もー、それどころじゃーないよぉ。私はまだまだできると、また死んでしまった山本周五郎から教えてもらいました。恋に関しては、ちょっとドキドキは無理としても、純粋な昇華した形の恋が、まだまだ西さんとできるのではないかと思っています←これってごまかしてるからしらね・・・(爆)。いやー、本当はもう恋愛は面倒くさくてイヤだ(爆)。あんな大事業をゼロから始めるなんて、考えるだけでもため息が出てきちゃうぞ・・・。なので、真っ最中のみなさまは、限りなくエンジョイしてくださいね♪
コメントを投稿するにはログインしてください。