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恩返しの法則

ヒトはひとりでは生きていけないことをいつ学ぶか?

実にシンプルで、赤ちゃんのときに学びます。赤ちゃんは自分で自分のことがまだできないので、泣いて不愉快・不都合を訴えかけるのですが、それに応えてくれる大人を、繰り返される安堵感から、信頼を学びます。またもや不愉快・不都合が訪れるのですが、たまにそれが解消されないときに不信を学びます。これは、Erik Eriksonの発達段階なのですが、この基本的な信頼と不信をしっかり根付かせて学んでいない人は、まるでひとりで大人になったかのように傍若無人に振舞うことが多くなり、他者への感謝を表さない大人になっていきます。やってもらって当たり前が染みついていくわけです。この入口での大きな学びは、自分がこれから生きていく世界への「希望」の礎になります。

1歳から3歳までに、意思→意志にしていくまでの自治感を学ぶのですが、それは日常的な自分のことを自分でやることにより学びます。心理Blog記事で何度か書いているのですが、ここで親御さんや廻りの大人が過干渉・過保護にすると、自分の面倒を自分でできないことへの恥ずかしさを充分に学ぶことができなくなります。なので、過干渉・過保護は厳禁なのですが、親のスケジュールに振り回されてしまい、学ぶことができない子どもたちは増えてきているように思います。

さらに幼稚園や保育園の頃に、思いやりや共感の元になる「相互性」を学ぶのが順当なのですが、ここで、先の2段階で学んだ「希望」「意志」を駆使して、自分の行動に「目的・目標」を加えることができるようになると、他者の存在を大きく捉えていけるようになります。なぜならば、自分が思っていることと違うことに直面するからですね。そのときの交渉:Negotiationスキルをつけるためにも、同世代の子どもたちから開始して、親が過干渉・過保護にせずに、問題解決をしたり、順番や区別を身に着けていくことが大切なのですが、なかなかうまくは進まないようです。

少子化が進み、犯罪が多様化し、人さらいの目的や形も変わり、大人の働き方が変わり、町そのものの在り方も変わり、子どもたちが外で遊ぶこともなかなか難しい・・・。

シャベルを借りたらバケツを貸してあげるとか、ブランコを優先してもらったら次はすべり台など、さまざまに小さいことから、大きなことまで、ここで学べるといいんですが、世界が広がらず、その世界にいる人々が一定化し、出来事にバラエティがないままだと、後年大人になってからも遊び心や感謝、誰かに対する申し訳なさなどを学ばない、あるいは少ししか学ばない状態で終わってしまいます。

ここだと思うんですね。恩に対する恩返しの法則を学ぶのは。誰かに何かをやってもらったら返す!という気持ちが始まるせっかくの機会に、これを希薄にしか学ばない限りは、恩返しをせずとも勝手に世界は廻っていくのだと勘違いするようになります。

幸い私は、廻りに1日に何度も、ことあるごとに「ありがとう」を言ってくれる人たちがたくさんいます。なので、私も「ありがとう」を自然に返すことが多く、「生きているだけで丸儲けだ!」と感じることに多く直面します。言葉だけではなく、態度で返したり、相手に利益があることや歓んでもらえることを提供したりすることは、自分の希望や意志に乗っかっていき、果てしない広がりが見えてきます。その後、大人になるまでさまざまなことを学び続け、大人になってからもそれを試行錯誤していくのですが、なんだか昨今、倖せの形が違うんじゃないか?と思わされることが多いです。

  • お金を持っていること、他の人よりも持つこと
  • きれいでいること
  • 学歴が高いこと
  • よいものを所有すること

などなどは、本当の意味での倖せなんだろうか?恩返しであふれている生活が、命ある限り続いていくことが倖せなんだろうと、私個人は信じており、お支払いいただいていること以上のレッスンや、レシピ以上の献立や組み合わせや素材、ただ抱きしめるだけではない温かみなど、実現しようとしているわけではなく、ただ結果としてそうなるようになっている感じです。

ヒトはひとりでは生きていけない。誰かに必ず支えられています。支えてくれている誰かに、今日もありがとう以上のことをしてくださいね♪

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