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悲しいほどお天気

2006-03-19 に書いた文章です

 

ユーミンの大昔のアルバムのタイトルです。歌の歌詞はコレ。さっきまで口ずさんでいました。うーん、憶えているもんだなぁ、歌詞。http://www.pip.dknet.dk/~pmj/otenkik.html#06

この歌詞では、昔の恋人なのか想い人といっしょに歩いた小径が、彼?の描いた絵にあり、それを見た自分のさみしい感情を綴っています。彼?はプロの画家になり、彼女は平凡な道を選び、彼といっしょに描いた風景を思い出しています。果ては、彼が見ていた風景と自分が見ていた風景が同じはずであったのに、違っていたことを想い、彼の見ていた風景は、少なくとも彼女の心の中ではいつも悲しいほどお天気だったのだ、と。

私もそんな気持ちになることがあります。が、過去に対して想うのではなくて、いつもその場で感じてしまう。同じものを見ているはずなのに、私は誰とも同じ風景を見ていないのではないか?と孤立感にさいなまれることがあります。同じ体験をしてきたわけでもないし、同じバックグラウンドでもないので、そりゃー仕方ないことなのでしょうが、そこで冷静に「求めらんないよね」とひとりごちる私はけなげだな、とさらに悲しくなりますね。ああ、物分りのいい分別のあるやつだなぁ、と。たまには足をバタバタさせて暴れてみたいもんです(笑)。

カリフォルニアは、3月から10月までは、本当に悲しいほどお天気です。雨が降らず、空はカリフォルニアブルーです。どうしてこうも飽きないほどに青いのか、とため息が出るほどに。遠く空高く、夏にはたまーに入道雲が見えますが、夕立は起きません。山のほうではあるのでしょうが、平地であるこの近所では起きません(この近所にあるのは丘ですから>1200mクラスなんだけれども・・・)。が、たまにしかここを訪れない人々にとっては、「いいわねー」の対象なのですよ。私はメリハリがあるほうがずっといいと思えます。贅沢病なのかもしれません。四季がちゃんとめぐってくる日本がとても愛しいです。東京であってもたまに雪が降り、私のこのあいだの帰国中に久々に見ることができ、熱は出したもののとてもうれしかったです。あまりにうれしかったから、傘をささずに歩き回って風邪をひいた、という見解もありますが・・・。

11年ぶりくらいに日本の夏も味わいましたが、我慢できないほどではなかったですね。過ぎたらなんとでも言えるって?(爆)まぁ、そのときにはヘロヘロになっていましたが、私にはDistraction(ごまかしてくれる邪魔)がありました。ワインバーを台湾にオープンさせる段取りと、オープンそのもの。それによって、私はあまり暑さうんぬんと言っている場合ではなかったのです。しかも台湾は亜熱帯だ。暑かったですよ。

本当のお天気の話ではなく、コントラストが痛いお話でした。同じ風景を見ているはずなのに同じではないことに気づいてしまうこと。そしてもっと悲しいのが、相手が「きれいだね」と問うているときに「そうね」と言わねばならぬこと。少なくとも、私は日本にいるあいだはそうしてきたのです。もう18年以上前の話なんだから忘れろって?(笑)が、今でも日本人軍団とのふれあいの中では、多少そういうことがあるのです。わっかんないかなぁ、わっかんないよねー、っていう譲歩。

贅沢を言わせていただきますが、私には行き着けのお鮨やさんがありますが、お鮨はそれほど好きではないのです。お鮨のなかでイチバン好きなのは、何か?と言われてもあまり積極的に「○×!!」と叫べないくらいの「あまり好きではない」なのです。パートナーは、ウニといくらが大好きです。ビジネスパートナーもウニといくら大好きですね。鮨カウンターに座っただけでドキドキというのはないのですよ。お金があるようになって最初の頃は、「ああ、座れるお金ができたんだな」と違う意味でドキドキでしたが・・・。行き着けのお鮨やさんではいつもつまみを食っています。最後にたまに納豆巻きを頼みますが、鮨じゃねーだろ、と言われますね・・・。たまーに、生牡蠣や帆立貝や青魚を握ってもらうことはあります。大トロがあるときにはたまに食べます。が、それほどお鮨クレージーではないのです。が、かたや、母は死ぬ前にもお鮨を食べたいほどのフリークです。違う風景を見ているんだなぁ、とそれだけでも思いますね。

お天気や食はわかりやすいので例にしたのですが、こんなことではめったに悲しくなりません(笑)。むしろ、好奇心のほうが先にたち、笑い話を一発披露したいな、と思うくらいです。

悲しいなと思うのは、かなり深いSubtleness(微妙さ)を必要とされる映画などを見るときでしょうか。私は、John Grishamを尊敬しているのですが、彼の処女作もお約束通り映画化され、Time to Killというタイトルは原作と同じままです。ミシシッピーで、黒人の女の子がレイプされ、その復讐に父親が犯人をCity Hall(田舎なので市役所と裁判所と牢屋がくっついているところ)で射殺して、その裁判が繰り広げられる映画です。私は、最初に見たときから、レイプシーンの冒頭からもう泣いてしまいましたが、レイプの本質について知らない人には、なぜ私があれしきのことで泣くのか、「違うものを見ているのでは?」と疑うことでしょう。そして、何度見ても最初から涙は溢れてくるのです。さらに、お話が進んでいくと、日本人にはなかなか想像しきれない黒人と白人の確執があちこちに出てきますし、エリートと民衆の差も出てきます。守る側と守られる側、モラルと感情のせめぎあい、などなど、てんこ盛りなのですよ。そして、同じものを見ていないのではないか、という悲しい気分にはたまに襲われます。

現在商売をしていても同じで、最初の入金や、最初の大契約、最初の輸入、などなど、たくさんの最初があるのですが、パートナー・ビジネスパートナー・社員Sちゃん・今度入ったHさんと、私が感じることや見ているものは、やはりどこかで微妙に違うのだろうな、と感じてしまうことがあります。全般的には同じムードであっても、微妙にやはり違うのだろうな、と。私としては、そのありんこ3匹くらいが運んできたパンくずが、とてもとてもうれしいのですが、ビジネスライクで長いこと会社勤めをしてきたパートナーやビジネスパートナーにはただの一歩だったりするわけです。社員Sちゃんにとっては自分の会社でもないこともあり、強要はできませんし、Hさんはまだ入ったばかりですから、あとからじわじわなのかもしれません。私はメリハリを大切にしているので、歓んだあとは、ぬか喜びにならぬようちゃんとペースを戻せるので、ちょっとくらいいっしょに歓んでほしいのですが・・・(笑)。

ただいま、商売の取引先の中国人女性と、彼女の英語力を向上させるために、かなり長い文章のメールのやり取りを1週間ほど前から開始しました。ものすごい都合をつけてもらい、感謝しているので、このくらいは当たり前なのでいいのです。彼女の故郷のHunan(湖南)を私はちゃんと見ていないのだろうな、と思います。そのほうが切なく申し訳ない気分です。もうね、いつか行かねばとすでに思ってしまっています。

パートナーともシュミやいろいろが違うので、商売のことのように、悲しいほどお天気な気分になることはたまにあるのですが、おそらく、最低限に抑えることができているのだと思います。しかも、投影できるネコたちもいますしね♪違うから人生も人々も世界もおもしろいのではありますが、たまには俗っぽく同じがいいな、と強く感じることも、私にもたまにはあるということです。が、足をバタバタさせて暴れていないところを見ると、やはり違うほうがおもしろいと思っているのでしょう。

が、ホッケーを見るときにはやはり、立ち上がって叫ぶことができたほうがおもしろいです。同じ風景が見ることができたほうが、臨場感をシェアできたほうが、おもしろいです。

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