1日1回もよくまぁ泣くことがあるねぇ・・・と呆れられているおおだいらですが、悲しみを抑え込むことがいかに不健康なことか?ということは、しっかりと考えたことはあるでしょうか?
ESLレッスンでは、Emotion Seriesというのをやっていて、怒りAngerのあとにSadnessをやっております。なぜにこのようなネガティブな感情のほうばかり?と言われたので、次には Loveをやってみるんですが、Loveというのは、ちょいと英語ではむずかしい・・・。恋という言葉がないのです。なので、Loveの前に名詞や形容詞をつけて区別していきます。日本人より単純なのかもしれないですね (・・;)
赤ちゃんの頃は、泣くのが仕事でした。泣いてよくおっぱいを飲んで、排泄して、ごそごそもぞもぞ動いていたのをもうちょい大きく動けるようにして、どんどんと範囲を広げて成長したものなのですが、いつの頃からか、泣く=推奨
が、
泣く=悪いことの徴(しるし)
のように変化してしまうんですねぇ。しかもまだ2歳から6歳なんて、理屈はさほどわからない (・・;)
ここで悲しいという感情をかなり進化した形でどんどん学んでいくはずなのに、悲しいことを中途半端に終わらせられてしまうのです。
「好きなだけ泣きなさい」と放置された子どもは、「呆れられて嫌われる」と勘違いしてしまい、赤ちゃんのときには抱きしめて泣き終わるのを待っていてくれたのに、と、このギャップに苦しむのでした。そして、どんどん大きくなるにつれて、泣くことは悪いこと、というのを埋め込まれていくのです。
私個人は、そうですねぇ、幼稚園くらいから泣くときにはひとりで、と決め込んでいました。なぜならば、泣いている最中にいろいろ質問されてうるさいからです。熱中できない(笑)。その頃には、祖母やら叔父やらがいて、いろいろ宥めようとされて面倒くさかったのです。母は完全放置な人だったので、さほど怒鳴ったりもしなければ、あやそうともしなかったんですが、ひとりで悲しい気持ちを満喫することに、その頃から安定して慣れてきていたのです。悲しい気持ちと対峙するには、他者がいることは邪魔で、大迷惑で、大混乱です。ドラマになってしまいます。ですから、今でも私は毎日1回ひとりで泣きます。まぁ、たまに猫には見られちゃってますけど(笑)。
Antoine de Saint-Exupery という人が、 “Sorrow is one of the vibrations that prove the fact of living.” と残しています。【悲しみは生きているという事実を証明するための振動バイブレーションである】
こうして生きてきたので、これからもこうして生きていくと思うのですが、他者と私個人の悲しみは、おそらく違いがあると思うので、ひとりでとりあえず対峙させてもらったあと、いろいろディスカッションできればいいと思っております。抑え込まないで悲しみにどっぷり浸かって、肯定できるようになると、大人になってからの問題の本質が見えてくるはずです。ぜひともやってみてほしいです。ESLでは、心理学者が書いた記事を8ページほど読むんですが、基礎コースが終わったあとでこれくらい読めてしまうんだなーと感激です。Tくんは、「もうね、最近まったく頭の中で日本語で理解してない」と、昨日も言っていたので、震えました♪





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