子どもの頃もあまり手をつないで歩いた、という記憶がありません。母はひとりで買い物に行く傾向がありました。たぶん、邪魔っけだったから?(笑)弟の手を引っ張っている母の記憶は相当数あります。彼が迷子になりやすかったから?(笑)
子ども同士で手をつないだ記憶というのもあまり回数が多くなく、強烈なのは遠足のときの強制感の強烈にあるもの。そのとき、矢田部くんという子がどれだけ騒いだか?という悲しくおもしろく切ない記憶です。女の子と小学校2年ではもう手などつなぎたいわけもなく、ってところだったんでしょうか?
幼稚園の頃も、なぜか私は駆け足ばかりしていたり、傘をしっかり握っていたり、買い物のためにお金を握っていたり、という手以外を握りしめていた記憶はあるのですが、手をつないで歩いたという記憶が乏しい・・・。中学の頃も高校の頃も、最初に目指したのは手つなぎだったんですよね。キスはハードルが高すぎたので(笑)。
実際に幼い頃の写真を見ても、1枚ほどしかないようなのですよ Σ(・□・;)なぜか神代植物公園にて、柵をかじっている写真など珍しいのはたくさんあるんですけどね (・・;)
そして私は性行為そのものよりも、やはり手つなぎやらキスにこだわる人間に育ってしまったのですっ!その上、USに行き、Hugs & Kissesに目覚め、調布駅前でも別れ際に大人にバンバンHugsを振りまき、恋しても手つなぎやキスが魂の行為化のように捉えてしまうようになってしまった、という、不思議な結果に(笑)。
歩く行為の途中、手つなぎをすることはさほど不自然ではなく、少しくっついて歩けば手が触れる偶然は訪れます。そこでもなぜか女は相手がぐいっとつないでくれるのを待つのでした。私もまったく受け身なやつで、自分から行かないんだよなぁ・・・。この年齢になっても行けない(笑)。が、一度許されるとなぜか「自分のポジション」くらいに胡坐を掻いてしまい、会うたびに手つなぎを自分からするくらいな図々しさまで身に着けていったのでした。ですので、この待つ身の楽しさは、死ぬほど味わった記憶あり(笑)。
バイクは後ろに乗ったことがほぼなく、車に乗ったときも運転してしまう癖がついた私にとっては、助手席に乗っていた短い数年、シフトギアに乗った手の上に自分の手を重ねることも楽しい時間でした♪高速道路では特に、手を絡ませてくれたことが鮮明に記憶に残っています。ほぼ家事をせず、手荒れ未経験の私は、この手をとても大切に扱ってきてもらえた記憶が強く、しかも利き手である右手をふさがれてしまうことが、なぜかとても好きでした。
そしてこの年齢になっても、やっぱり手つなぎをして歩きたい、という気持ちはまったく抜けることなく、その時間をとても大切にしているのです。幼い頃のスキンシップ不足が、私をここまでこだわらせているのでしょうか?弟は相当にHugsをもらっていたのを見ていたのですが、私はそれをむしろ避けていたのでしょうか?テーブルの向こう側にある手がとても愛おしくなったりすることも間々あります。
ただし!女の子とはやはり手つなぎをして歩けません。どんだけストレートなんだ!と困るところです。
さて、この手つなぎにこだわるのは何歳まで続くのでしょうか?インターネットがある限りは、ご報告はできそうな気がします。
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