一昨年か去年のうちにはっきりさせたことがひとつ。七夕は雨が降る確率が高いということ。であれば、彼らが逢えるのはおそらく数年に一度しかないんでしょう、というところまでは書いたはず・・・。
そして今年はここから(^^♪
若い頃、そうですねぇ、30歳くらいまでかな、は、恋がなくては生きていけないというくらいには思っていたんですが、実際の私の本質は、「誰よりも自分が伸びることによりたくさんのエネルギーを使いたいヤツ」ということがわかったので、36歳で子どもを持つこともはっきりきっぱり辞したし、お金や時間の使い方も定まってきました。
ということは、織姫や彦星が私のような感覚の持ち主であれば、数年に一度の逢瀬でいいんだろうなぁってこと(笑)。
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ここまでたどり着くのに数年かかるんだよ?っていう説明ではある(笑)。
もう恋愛に使える脳内CPUはない。たぶん奥のほうに埋もれてしまっていて、過去の遺物化していて、単なるロマンな話に改竄してあり、もう同じ轍は踏まないだろうし、今後行動化することはないと想われる。もしも、再渡米したあと、恋愛して再婚なんかしちゃうことがあったらごめんちゃい(笑)。とはいえ、その確率は今のところはほぼなし>2%とか?
人間の感情としては、もうロマンというのは自分事過ぎて他人を振り回したり、友人に不快な想いをさせたり、時間と情熱とお金を使いまくるってのが避けがたいことだと思えるほどに価値があったんだけど、子どもを持ってしまうとそれが子どもに移行していくんだろうし、ペットにする人もいれば、恋愛の形を変えていく人もいるよね。価値を高く維持していける人にとってはいいけれども、私のように自分の生命を使い切りたい執着のようなモノに変わってきてしまうと、もう恋愛関係はどうでもいいなぁと思うんだよなぁ・・・。
そして、元配偶者に冷たくなり、今の同居人にも相当早期に冷たくなった・・・。(‘◇’)ゞ
ひどく身勝手ではあるが、嵐に巻き込んでおいて身勝手を縦横無尽に続けるわけでもなく、きちんと「ごめんね。もう恋愛とか、おなかいっぱいです」とは言えているので大丈夫なのか?うーん、わからない・・・。
私のロマンはもう過去から未来に続く社会科学やら自然科学に対象を変えてしまっているのだった。
ロマン:夢や理想を追い求める心情、またはそのような物語性や情緒を持つ作品や現象。
夢や憧れ:現実離れした物語や登場人物が抱く理想、または現実とは異なる理想的な世界や状況を夢見ることを指す。
ロマン主義:18~19世紀にヨーロッパで広まった、感性や想像力を重視する精神的な傾向を指すこともある。
というわけで、数年に一度くらいしかものすごくロマンティックな事実には遭遇しないので、織姫と彦星の逢瀬と同じ割合くらいになるっていう意味では、七夕は未だにマイルストーンです。
ただ、もう私は他力本願の願いことはかなり長い間していません。数十年くらい?(笑)






