春休みの無料講習会

もうやめたいなぁと思っているのですが、なぜか続けてしまっています。もうこんなにたくさんのサービスをする必要性はまったくないのですが、いかんせん、伸びないと我慢できず(笑)。ここでも私の負けず嫌いな性格が私を追い込んでいるのでした。(;^_^A

誰を教えていても同じではあるのですが、本人が本気でそう思って自分でコミットして変わろうとしなければ、何も変わっていかないということ。しかも、英語であろうが数学であろうがクラフト系であろうが、理解のメカニズムや論理が通るかどうかなどの体感を体験からなるべく効率的に学ぶことが共通点であり、その繰り返しの回数が公文式のようにしつこいくらいのくどい回数をキープしなければならないのは、そんなに楽しくもないし、生活に必要だとも思っていないし、実際に使う場面が少ないと高を括っているせいだし、誰かにやれと迫られていたしかなくやっているせいなのです。

だから、動機として、TOEICを600点取らなければ課長になれないとかいう切羽詰まったものだと、喉元を通り過ぎたときの結果が長期的なものではなくて、忘れ去ってしまうものだからしょうがないじゃん?となっちゃうんだよねぇ・・・。

子どもたちに教えていて本当にがっかりするのは、単語の意味や句動詞など、暗記一択で教えている先生がいて、その方向が書くことだったり、テストで脅すことだったり、繰り返しを促して、すぐに忘れさせ、つまらなくさせてしまうこと・・・。(-_-;)

暗記などを開始してしまえば、それはその場から「忘れる材料にしかなっていない」ってことなんだけどね・・・。(・・;) 

楽しくて必要だと思って、できてきている自分が楽しくて、っていう体験は、勉強じゃなくてもたくさんあったからこそ、みんな生きているんだと思われる・・・。それをどうして英語にも応用しないのか?というのが不思議でならぬのだ・・・。それが見えてきた人から、どんどん英語が話せるようになっているんだよね、大人も。

結果論として、長い時間やってきた人たちは、できるようにはなっているんだけど、なぜか文語を話してしまっていたり、日本語を訳すことは上手だけれども、友だちになったら面倒だろうな、理解するのに、っていう表現がバリバリ残ってしまっているのだった。

私はそうした意味で、24歳半まで本当に勉強をミニマム状態でやり過ごして来れてしまったので、「勉強=つまらない。評価されてしまうから避けたい。時間が莫大にかかる」と思ってきたので、いざ始めてみたとき、かなり短い時間でもできるようになっていることが多くなっていて、かなり楽しかったし、相当いい評価を偶然もらってしまったので、いい循環に乗っかれたんですよね。苦労しないで Big wave に乗れてしまったサーファーとか、誰かの大舞台でたまたま演奏したら目立ってしまい、うまく売れてしまったミュージシャンとかダンサーみたいなもんです・・・。

だから、そうした意味でも、勉強に莫大なお金と時間と情熱を使う必要なんてないことを、くどくどと、あの手この手でやっていて、この無料講習会でも、ランチを出したりするんですが、ついこのあいだも、ひとりが、「ねぇ、手巻き寿司はいつやる?」と自分の出欠のスケジュールを決めるための参考にしていた・・・(笑)。

だったら、勉強しないことくらいできるでしょー、と思ったワタクシである・・・。(^_^;)