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最近またナショナリズムが台頭していますが、人間は本来排他的なのでしょうか?

うーん、難しい問題を(笑)。ナショナリズムもうねりなので、バイオリズムのように周期的に来ますよね。ファッションのベルボトムとかAラインとかもそうだし(笑)。

 

ヒトの世界の95%くらいのことは、二元論・二極論で説明できます。強弱・高低・善悪・正邪・明暗など、ふたつの極になるものの幅の中で生きています。この幅を決めるのが、自然科学では自然の摂理ですが、社会科学では、社会・国の他、グループや個人へと枠組が変わります。

 

国がレゴのピースであれば、完成モデルは世界ですが、日本国を構成しているピースは人々ですよね?となると、そのピースがこの

 

排他的    ______________________  包括的

の幅のどこに位置するかで、全体的な統計が取れます。点在の点を数値化し、どちらにより偏っているのかを見て、国粋の方々(右ですね)もいれば、真ん中に位置する方々もいれば、多少左寄りで小さい政府や個人の権利が高い方がいいとする方々もいます。

 

ただここでも問題になるのは、何においてどちら寄りか、という軸の示し方です。このように「政治と経済」の2軸を主とするのがトレンドです。おもしろいのでやってみて♪この問題として質問されている物事が、どちらに偏っていくか?を判定する因子です。 ポリティカルコンパス

 

ヒトの本来もまた同じで、この二極の両方を持ち得ています。どちらにより強く傾くか?というだけの話。この規模は、大昔は「自分の血縁 vs. 他者」で考えられていました。人々がコミュニティを形成していき、メンバーの人数が多くなればなるほど、血縁のみを大切にすることでの弊害が生まれてきます。近親相姦は不思議と世界的にも非常に少ない率でしか発生しませんが、これもひとつの弊害です。その後も、「仲間 vs. 敵」というのを、政治的見地・富に対する考え方などから分けていきます。未だにそれが続いているのもおもしろいところです。複雑化はしてきましたが、さほど変わりはありませんね。

 

右か左かという考え方は、イギリス議会での座席が右側か左側だったか、という政治的ポリシーに由来しますが、右は保守的な考え方、左は革新的な考え方、とざっくりと分けます。新しいものを排除し、古来のやり方にこだわる度合がどの程度なのか?というのが、日本の政党であり、本当に新しいものを入れようとしている極端な政党は存在していないはずです。自民党ですら右派と呼んでいいのかどうかわからない派閥もありますしね。

 

参考までに図化したものをごらんください。

 

 

私個人はアメリカに20年近く住んでしまったことや、UC Berkeleyというものすごく左翼的考え方なキャンパスで学んだこともあり、日本人にしてはかなり左だと思います。とはいえ、日本人性も持ち合わせているので、極端な左ではありません。

 

守りに入ることが得策か?というのは、生命体の進化を見ていくと自ずとわかるかと思います。保守派を自認している方々も、ITを便利に使っていらっしゃるし、いくばくかの変化には適応しなければならないことは知っているはずです。どの程度?で悶絶している中、自分にマッチしていれば、自分が属すグループとの調和を考えてみればいいだけのことなのではないかなぁと。

 

私は、いずれアメリカはCalifornia→その後Nevadaで、老いて枯れて寂びて侘びて死んでいく予定にしています。自分のスタンスに一番合っているから、と、私が移動すればいいことで、他の誰かの考え方を自分寄りに変えていただく!とは思えないままでいるからです。最悪ひとりで、ヤギや馬やネコやネズミや犬と共に生きていけばいいと考えており、ヒトでなくとも(笑)。

 

排他的すぎるとヒトは存続できないことだけは明言しておき、二元の中で右往左往している、という状態を把握してみるといいですよ、ということだけは残しておきます。

 

 

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