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本人らしく在るために ネコ編

ヒトも「自分らしくある」というのが最も大切であると考えているワタクシは、ネコにも「自分らしくあってね♬」といつも願っています。結果、我が家のネコはほぼみんな長寿を全うしてくれます。この3匹の仔猫たちも、うまくいけば、私の70代を見ることになるはず・・・。

そしてこの「自分らしくある」というのは相当難しい。なぜならば、おそらくほぼ全員、死ぬまで自分のことを「すべて知っているよ♪」とはなっていないからです。ネコたちですら、流されたり、影響されたり、眠すぎておなかが空きすぎて本能に支配されまくったり、まぁ、自分らしい追求というのは、ウルトラ級に難しい。

自分のことをわかっていない人たちが、さらに他者のことをわかろうとするか、特に心を砕かないか、という二択に直面し続け、その後、それが正しい解釈だったかどうかをきちんと見届けることもないまま、日々は過ぎていきます。当たる場合もあれば、大外れな場合もあるし、二択どころではなくて、微妙な差異を考えなければならないこともあるのに、やっぱりヒトは自分のことに忙しい。

そして、ネコですよ・・・。

彼らのやっかいなところは、ヒトと共通の言語は持っていない!なので、本人たちに訊ねても必ずしも答えてくれるとは限らない(笑)。しかも、彼らは自分たちのことを「わかっている」という前提で動いているかのように見える・・・。が、それもヒト的な解釈であって、本当のところはわからない。

小さい頃から、あらゆる種類の虫・トカゲ・イモリ・ヤモリ・カエルなどから、チャボ・鶏・スズメ・ジュウシマツ・文鳥・インコなどの鳥、ネコや犬、ハムスターなど、けっこうな動物を観察しながら、家にも招き、物置小屋でも暮らしてもらったりしたんですが、結局、中心がネコになってしまったのは、彼らが「たいへんに自我が強そうに振舞うゆえに、ヒトの手がさほど必要ではない」ということに集約されます。

自分で自分のことをがんばって育てあげなければならない中、この歳になってですら、まだまだ自分のことをがんばらねばならぬ中、朝から晩まで愛情を要求するわけではなく、ものすごくミニマムなケアだけで、かなり自分たちだけで自分たちのことをこなして生きていってくれるネコは同居するには、たいへんに都合がいいのです。

そして、やはり考え方の中心になる「自分らしく在る」という瞬間の積み重ねを、本気でやっているなーと、つくづく思わされるのがネコなんだなぁ、と。

ネコはあげたごはんが嫌いであれば、ひもじくても食べません。あっぱれすぎます(笑)。致し方なくひもじくて食べざるをえないことがたとえあったとしても、「あげたとは思うな。食ってやってる」という態度になります。が、そのゲームにも疲れてしまうので、残されたものをごはんとして出す気力がヒトのほうになくなってしまい、折れる・・・(笑)。

基本的にネコは、ヒトのことを「大きくて無様で不器用でかわいそうな種類のネコ」と思っているはずで、気に入ってもらえれば、グルーミングをしてくれたり、おみやげを持ってきてくれたり、ごはんを分けてくれたりします。見事に同情してくれるときには、寄り添って寝てくれたり、話しかけてくれたりもします。

ただ、それらも気が向かない、自分らしくもない、と思ったらやらない・・・。

限りなく自由すぎるのでした・・・。

そして我が家のネコたちは、きょうだいネコにも拘らず、だんだんと個性が出てきて、優しさやヒトへの興味やその他、どんどんばらつきが出てきています。どうやって彼らの自分らしさをいじらず、彼らの本能のまま、尊重していけるか?が、下僕であるワタクシの今後の使命です。

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