05/15/2006 にアップした文章です
私にとっては、毎日が母の日なので、オンラインでの広告や、TVコマーシャルは気に掛けないと自負していたのですが、ちょろっと泣けてしまうものもあり、本日、父方の祖母と祖父の例祭に出席するため、長野に高速バスで出向いている母のことを、またいろいろ考えていました。
引越しのため母を呼び寄せたのが、4月3日。4月30日にこちらを出発し、そのあいだ、ずっと母にアレンジや整理整頓を全面的に任せていたのですが、時差ボケもあり、まったく機能していない幽霊もどきな行動で流しつつ、いろいろなところを見て回っているのですが、やはり母はすごいなぁ・・・。
戻ってきてから、睡眠時間がバラバラで、行き着けのお鮨やさんに行き、おみやげと頼まれた日本でしか売られていないインクジェットを渡さなければいけない常連さんがいるのですが、起きたら夜の8時過ぎで、とてもじゃないがシャワーを浴びて身支度をして出かけると、ラストオーダー直前になりそうだったので、今日はパス。しかも、頭の後ろ側のほうで、エッセイを書いていない・アップしていないことを気にしていたので、それに今晩は費やすことにしました。
が、その中で、おなかが空いた生命体の儚さに抗いきれず、冷蔵庫を開けると、母が真空パックにしてくれたものが、まだまだわんさか残っている♪カレーにミートソースにアドボ(フィリピン料理で、酢と醤油で骨付き肉を煮たもの)やら、きんぴらやれんこんの炒め煮、などなど。あー、しばらくはごはんを炊いておくだけで、飢えは凌げる・・・。今回は、疲れていたこともあり、ステイが1ヶ月足らずであったこともあったので、自分用の食品は、特に揃えずに戻ってきました。あまりに気にしていなかったので、それも母が武蔵野市場に買いに出かけてくれ、買ってきてくれました。唯一のリクエストは「みょうが」で、6本持ち帰ってきました。こっちだと1本で220円(2ドル計算)なのだった・・・。お味噌汁に入れるか、そうめんで食べるかします。
今回戻って、弟の家で長らく弟と話したときに、「あー、この子はママに似てるなぁ」と思った次第。母と私を見て、「いっしょにいるがゆえに親子だと推測する」ケースはあったとしても、顔かたちが似ているから親子だと思う人は、ものすごく少ないと思います。かと言って、私は父にも似ておらず、小さい頃から「誰の子?」と浴びせられていたこともあり、冷静に考えて、養子じゃないのか?拾われた子じゃないのか?といつも思ってきたのです(笑)。弟は、母の母、祖母に似ているなぁ、と思う箇所がいくつかあったのですが、今回戻って、少し太った彼を見ていたら、母に似ているなぁ、と強く感じてしまい、やはり私だけがまだまだ血の謎を抱えて生きていくのか?と思ったのです。
私の狭い世界の中では、私が心を傾ける事項はたくさんあるにしろ、心を傾ける人々はかなり限られており、母のことを考えない日は1日もありません。死んでしまった父のことも、何かにつけていつも考えています。目の前にいないにしろ、西さんのこともよく考えており、社員のみなさまや少ない友人のことも、いつも背後霊のように感じており、考える時間とスピードに任せ、昔の知り合いや友人もちょくちょく登場します。
そんなわけで、母の日を特別祝うことはありません。最近は、みんなでSkypeをするときのBGMが母の声なので、国際電話を毎週掛けていた頃に比べると、さらに親近感が増しました。父が生きていた15年前には考えられなかったことです。
幼い頃に、幼稚園や小学校で、かなりイベント的に母の日を教えてもらって、気づかされていた頃がありました。が、それでも我が家には特にクリスマスや建国記念日やその他が来なかったように、父の日や母の日も来ず、誕生日が来ることも稀なほどでしたから、両親とも特に違和感があったわけではないようです。
こうした環境の中で育ってしまったので、「イベント化」をどうも照れくさく感じ、わざわざどうして?というへそ曲がりなところはできあがってしまったかもしれません。
西さんが台湾から戻ってきた5月10日の夜は、11時に到着して、夜中の1時半まで話したのですが、私が大いに感謝しているのは、西さんが根本的に母の人間性を好いてくれていることです。よく動き、よく話すおもしろい人、と思っており、よく話を聞いてくれ、話の進み具合がわからずともしっかり質問をしたり、コミュニケーションを怠らないようにしたりと、彼なりのレベルで心を砕いてくれています。なのに、自分の母親にはロクに電話もせず、鹿児島のご両親のことを思うと、西南のほうに向かって、私はいつも頭を下げている次第です。
マインドがシンプルにできている西さんは、母の作るカレーを褒めるのに、「お母さん、コレは売れますよ」と言いながらおかわりをしたり、コマネズミのようにくるくる動く母を見習い、自分もくるくる動こうとしたり、いっしょに飲んで笑ったりと、本当に人として温かい人です。
ビジネスパートナーも、母の会話にはついていけていないのですが、黙って笑って聞いており、わかりそうな箇所では質問をしたり、擬似母扱いしてもらえていることに感謝です。
社員さとみちゃんもすまいるも、母にはとてもよくしてくれており、いっしょにワイドショーの事件を話してくれたり、細かい主婦系、女の子系の話ができる相手がいて、私などがおらずとも、母はとても楽しそうです。母のフリルやレースのついた洋服のセンスがわからないどころか、ワイドショーやその他をどうも忌み嫌っているふうに誤解されており、弟が母にもたらしてしまう「知的に振舞わなければバカにされる」という側面を、私自身もどこかで与えてしまうところがあります。私としては、日本のTVを見ると、動物園的視聴に一生懸命で、母のことまで思いやるゆとりがなく、けっこう文句や質問が多くなってしまうので、母としてはとまどうことも多いのでしょう。が、さとみちゃんやすまいると、お昼ごはんをいっしょに食べるようになってから、独り言の会話が少なくなり、少なくとも話し相手がいることは、母のマインドにはとてもよく作用しています。
はぁ、本当に娘として孝行していると豪語するにはほど遠いよ・・・(汗)。
6月5日に戻る私への彼女からのリクエストは、ファイバー(繊維)入りのクラッカーをたんまり買ってきて、とのことでした。4月に、私が紹介したものだったのですが、私に比べると母には便秘傾向があり(私と比べれば誰でもそうなってしまう傾向はあるかも・・・)、そのファイバーが取れ、ガーリック味で、しかもカロリーが少なめになっているクラッカーは、おやつにちょうどいいし、ワインにもいける!ということで気に入ったようです。他にも、USでは胚芽が安いので、粉を買ってきてくれとのことでした。他にも何かあったのですが、その紙を忘れてきたよ・・・。Skypeがあるので大丈夫です。
人の人生は決定的にコミカルであることは、私は母に教わりました。どんなにつらくても泣いても、いつも最後には笑っている彼女から、徹底的に楽天的であったほうが人生はオトクであることを学びました。今、会社を設立して、勝負ドキにものすごい威力を発揮しています。西さんも見習う予定でいたのですが、イマイチ体現できていません。問われているところです。
そんなわけで、毎日が母の日のようなものなので、改めて花束を贈ったり、プレゼントをあげることはしていません。お鮨やさんに連れていったり、ステーキをごちそうしたことは過去ありますが、それも母の日だから、と言葉にしたことはありません。
とは言え、もうすぐ『かけがえのないあなたへ』がオープンしますので、もう少しイベント演出のセンスを磨いたほうがいい、という強迫観念にも迫られており、もう少し考えようと思った母の日でした・・・。
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