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民族大移動のはじまり

12/30/2006 にアップした文章です。

 

私個人は、かなりイベントをお祝いしない傾向にあります。けれども、年末年始は海外に出た自分の慰みというのか、和食を正当な言い訳を並べて、後ろめたさゼロで存分に三昧したかったのか、伝統を肌で感じるチャンスを年に一度くらいは持ったほうがいいと思ったのか、誕生日の次にはでっかいイベントです。とはいえ、今年は自分の誕生日を翌日まで気づけなかった私ですので、イベントいい加減指数はものすごく高く、あまりえらそげなことは言えません・・・。ウヒ・・・。

私の死んだ父が、「故郷大好き魂」の持ち主で、その強さは典型的な思慕や想いいれや幻想や後悔などの晦渋と、その他あっさりと言葉にもできるいろいろな雑音にまみれていたとはいうものの、やはり中心にあったのは、単純に彼の意地であったような気がします。そのために、父の家族に生まれてしまった私は、長いながい道のりを、車に揺られて民族大移動の儀式に参加させられた記憶があり、自分が大人になってからは、観光地や名所や季節に招かれる地域(スキーとか海)には、綿密に時期を選んで、さらに時間を選んで行く習慣がつきました。ありがとう、父♪

何度か書いたように、父の郷里は、長野県飯田市。しかも飯田駅からさらに南東で、最寄り駅の天竜峡までさらに車では15分。その最寄り駅までも、父の実家からはバスで30分。車ならば停車しないので20分といったところだったでしょうか。移動はたいへんなところでした。私が幼稚園・小学校の学童期には、中央自動車道は、首都高速にやっと繋がり、大月インターまでしか開通しておらず、その先はエッチラオッチラ下の一般道を使わねばならず、長野県飯田市のド田舎までたどり着くのに、休憩を入れずとも7時間は悠に掛かったのです。そのおかげで、甲州街道近辺の地理には詳しくなったし、看板を読みながらの漢字ゲーム、訳のわからないボキャブラリー取得(レストハウスとかコッテージやらのあやしいカタカナのつじつまは後年、ちゃんと合うようになるのです)、トイレ我慢大会や、持ち歌披露大会、8トラックの歌詞の暗記、植物や動物の名前取得、諏訪大社や笛吹川などなど通り道の歴史のカケラや由来、「サンタクロースはいるかいないか」などの真剣子ども論争、などなど、本当にいろいろな時間つぶしが展開されたのです。

でも、もう二度とあんな目には遭いたくない(爆)。

中央自動車道の歴史はこちら。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93 

コレを読むとなぜ富士五湖近辺で「焼きともろこしが食べたい!」騒動を起こして、母を困らせていたのか一目瞭然(爆)。おかしいな、と思うのは、開通してからも高速料金の節約なのかどうか、まっすぐ行かなかったこともあるように思える。それとも母が道を知らなかったのか、高速道路が怖かったせいなのか?>実家がなかったため、夫婦喧嘩をするとなぜか父の実家に訴えに帰っていた母なのあった(爆)。しかも雪道などで苦労した記憶は満載で、私はひたすらくぅくぅ寝ており、8歳だかそこらの弟が降りしきる雪の中でチェーンを装着していたと、今でも語り草(爆)。楽しかった記憶も多いけれども、「どうして子どもの頃はあんなに時間がたっぷりあったんだろう?」と今となってはたいへんな不思議なのだけれども、もうあんな苦労をしながら、移動はしたくない、というのが真実です。

なので、帰省ラッシュが始まった高速道路や主要鉄道、空の便などのニュースを見ると、文字通り、ブルブルッと震えが来ます。特に昔の車は性能が悪かったので、ちょっとした坂道やトンネルがあると、自然渋滞が起きて、さらに時間がかかるのです。仕事をしていて時間調整ができない父が運転手だったときには、最長で13時間も掛けて、飯田まで帰った記憶があります。もううんざりだよぉ。

留学前、お金がなかったけれども旅行がしたかった頃は、人数が集まらなければ新幹線で行ったほうが安いこともあったのですが、たいてい車でした。夜中の道はトラックばかりで空いているので、いつも深夜出発をしていました。そのせいなのか、今でも私は、遠距離は夜中に走るのが妙に好きです。学習の成果なのでしょうか?新幹線の自由席には、2・3度しか乗った記憶がありません。けれども、寝台車には一度しか乗ったことがないし、在来線の旅は私の性格上できるわけもなく、やはり圧倒的に車の移動が多かったのでしょう。今考えると、なぜにあんなにガソリンをばら撒いていたのだろう・・・(爆)。

ふと思うと、子どもの頃のこの移動は、「こらえ性」をつけるのには、相当役に立ったのかもしれないです。

最大の難関だったのは、私は車酔いをする体質だったこと。大人になってからもこれは変わりがないのですが、高校生途中までは、バスはほぼ100%、電車でも50%くらいの割合で、本を読むと車酔いをしていたのです。乗用車でも100%、読書はできない。地図を読むのも最初は困難でした。父のナヴィゲーターを気取ることすらできなかったわけです(笑)。助手席に乗れるとたいへんに誇らしい気持ちになれたものですが、役不足だったのでいつも後部座席。さらに、やはり安全面を考えても、運転手だった父は子どもを助手席に乗せたくなかったのでしょう。

大人になった今でも、他人が運転している長距離はかなりの確率で酔います。近年最悪だったのは、親友のハワイの会計士と、北カリフォルニアの太平洋に面したビーチに行ったときのこと。ゲーゲーはきまくりなのに、自分で運転しないとさらに酔うので、運転していました(爆)。どういう絵柄なんだか・・・(汗)。ヘリでも同じです。自分で操縦していないと酔うんだよなぁ。大型旅客機も三半規管をアジャストするのに時間がかかるので、イメージトレーニングで自分がコックピットにいる想像をして乗り切るか、離陸前に寝ます(爆)。どうしてもダメなのが海モノで、自分が船舶のライセンスを持っていないので、クルーザーは100%酔います。クイーンエリザベス級の大型豪華客船には乗ったことはないのですが、東海汽船の伊豆諸島行きの客船でも酔いましたし、広島から厳島神社に行くまでの遊覧船クラスでも酔いました(爆)。これは限りなく心理的な影響が強いのでしょうが、どうも信用していないらしいな、運転手や機体を・・・(爆)。構造や力学がわかっているはずの飛行機やヘリや車でも、他人が操縦していると酔いそうになるわけなので、おそらく私はたいへんに疑い深いやつなのでしょう(爆)。電車は高校生で通学に慣れてからは、読書ができるようになりました。バスは今でもかなり無理があります。特に、つい最近、10数年ぶりにバスに乗ったのですが、読書どころではなく、料金がどんどん上がったりするのがおもしろかったり、景色や乗っている人々をウォッチングしていたので、それどころではありませんでしたね・・・。ちょっとした遠足気分でした(爆)。

民族大移動の波にもまれるのは、もうイヤだ、と私が書いているさなか、きっともまれてらっしゃる方々は山ほどおられるのでしょう。がんばってね♪隣にいる人から意外な発見をもたらしてもらえるかもしれず、いっそ、携帯やゲームはやらないほうがいいかもしれないです。うーん、やっぱり時間を潰すためにはそんなことは言っていられないか・・・。きっついよね(笑)。とにかく、到着した先で楽しいことがたくさん待っているように祈っています。さらに、無事なお帰りを♪

 

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