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無職のさみしさ・・・

 [1999年08月09日(月)]に書いた文章です。こんなふうに考えていたのですねぇ。今、忙しくなって本当にありがたいです。でも、この頃に戻りたいかも(笑)。

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私はアメリカでは Legal Alien(リーガルエイリアン)です。エイリアンなんて言うとあの映画思い出しちゃいますね。ドロドロうにゅうにゅを吐き出すあの不思議な生き物。でもあれじゃぁありません。「法律にかなった在留外人」という意味です←ああ、よかった☆

パートナーが働いているビザの「おまけ」になっていますが、本当ならば F-1という学生用のビザでもいいのです。でも税金やクレジットカードの査定とかがあって、こっちの方が楽なのでこっち使ってます。

学生のビザだとオンキャンパス(学内)の仕事ができます。図書間やカフェテリアや教授の事務処理やいろいろ。私が持つビザはあいまいで、移民法には「絶対仕事しちゃだめ」とは書いてないのですが「仕事してもいい」とも書いてないのです。しかも移民法っていうのはかなりコロコロと変わって面倒な法令です。

私は働くのが好きですが、“じぇに”をもらえないならばしたくないです。家のなかのことは仕方ないです。じぇにに換算するようなパートナーではないですが、これも稼いでいるうちだと言います、「誇りを持っていいんだよ」と。

(あ、今も洗濯物をパートナーが先に畳もうとしていたので、「まじぃ!」と思ってさらっと手伝ってきました・爆)

パートナーがどうしても物理的にできないことは嫌々ながらやりはじめて、途中から楽しもうと努力します。掃除でもトイレ掃除はけっこう好きです。

15歳11ヵ月ちょいで働きはじめたファミリーレストランで、最初に教わったのが「トイレチェック」というやつで、そのとき教えてくれた「しらとりさん」というかっこいい8歳年上の社員が「トイレをきれいに掃除すると生まれて来る子が美人になるよ」とちょろっと私が知らなかった言い伝えを教えてくれたので、私はそれをついこのあいだまで信じていました。今でもたぶん半分くらい信じているかもしれません。何たってはくちょうって書く優雅な人がものすごいきれいな顔で説得力あるように言ってたのです。縛られました・・・。

長く働いてそれなりにヒエラルキーのなかでステップアップして、もう客室トイレの掃除をしなくてよくなってからは、なぜか就業時間前、早めに行って毎日 るるるん☆って感じで従業員トイレの清掃をやってました。それは21歳まで続きます。「どうしておおだいらさんが掃除するんですか?」とよく聞かれたけど、まだ結婚も出産も予定がないのに「生まれて来る子が美人になるようにがんばっているのよ☆」とは正面切って言えませんでした。しかもそれがガセネタだったら・・・・。

その後、アマチュアモデル・ウェイターウェイトレス研修契約社員・ビラ配り・宛名書き・バイク宅急便・トラックドライバー・有限会社秘書・ホステス・仲居・バンケットコンパニオン・朝食専門ウェイトレス・結婚式場ウェイトレス・ナレーターコンパニオンなどなどをばらばらにやっていきます。

渡米してからは書道教師・日本語教師・英語教師・ヘリコプター教官・航空学地上学習教師・取材用現地コーディネーター補助員・通訳・翻訳などもやりました。

日本に1年3ヵ月帰ったときは派遣でNHKで旅行番組を作るための通訳・翻訳兼デスクワークもしてみましたし、スナックなんかにも勤めてみましたし、英会話学校教師もやりました。

けれど一貫して言えることは、何をしても「要求された仕事をお金に見合う分だけプロとして稼ぐ」ということで、私は、仕事そのものや仕事として何かやることで自分を思いっきり体現しようとか、生涯この仕事をしようとか思ったことはありません。何をしてもそれなりにエンジョイしてきましたが、使命感に満ち溢れてプライド持ったりしたこともないですし、「この仕事をしているときに私はいちばん輝く!」なんて思ったこともありません。どうせならいつでも私らしくいたいです>たとえ鼻くそほじっているときでさえも。天職と言える仕事が私にあるとは思えません。私には驚くほどの才能はありません。ほとんどが学習によって身につけたものです。仕事はしなくちゃご飯が食べられないのでします。

貨幣制度がない無人島に住んでいて魚も獲り放題で穀物もあるなら、食べるため以外の仕事はしません。農業の真似事みたいなことをしてそれなりに学習はしていきます。魚獲りの技術もやっていくうちに真剣に学びます。あとは遊んで暮らします。遊びのなかで舟なんか作れちゃったらいいな、と思います。

もちろん人によっては天職とめぐり逢える人もいるだろうし、仕事で自分を体現できるって人はたくさんいるでしょう。それはラッキーでいいですね。でも他にある大切なことまでなおざりにしたり、犠牲にすることがないように祈ってます。仕事のほうが家族や恋人より先にきちゃったら私は哀しいです。天職だったら“じぇに”なんかもらわなくたってやっちゃいます。だって天性のものなんて私には残念ながらなくて全部それなりの時間と情熱かけて学んだものだし、神様から命ぜられてお金なんか取れないですよぉ・・・←私は宗教選んでないけど、どこかに Higher Powerがいて見てるかもしんないと思うからけっこう怖い。

私が22歳のときにリクルート発表では、日本では7000種の仕事が存在しました。今はもっと多いことでしょう。私はできることなら自分がどうしてもやりたくないこと(死刑執行人とかできません・・・ごめんなさい、私には向きません)以外は何でもできたらいいな、と思います。広く浅くという意味ではなくて、どこに行ってもお金をもらうならプロになれるよう通用する人でいたいということです。そのために学ぶ努力は惜しまないし、いつから始めるかなんていう年齢制限がなければもっといいな、と思います。

職業によって人々を査定評価する人たちがいます。結婚相手にはこういう人は嫌だとか言う人もいます。それはきっと職業に対して奢っていたり、必要以上のプライドを持っていたり、他人と比較して優越感を得たりしていて、それが日常の生活にもはみ出てしまって態度に出ていたりするから、だとしたら納得します。でも職業そのもので相手を選ぶのは何ででしょう?

警察官をしていて生命を賭けていようが、市役所に勤めていようが、人間としてまっとうな人であればそんなことで査定することでしょうか?(「拳銃が撃ってみたかったから」「戸籍謄本にある秘密が知りたいから」じゃいけませんよ・・・汗)職業は得意不得意と得られるお金を検証してみて、ただただ便宜的に、お金を稼ぐ糧としてやっているんじゃないんでしょうか?

ひとつの職業をずっと続けてもいいことだし、いくつもの職を転々としてもいいし、それが何か人間としての「上等さ」に関係することなんでしょうか?ただの便宜上の情報として「どのようなストレスがかかるか」「どのような学習をしてきたか」なんて参考にはなるでしょう。けれど、その人の人間性までがわかるもんなんでしょうか?

私は現在、職業欄には「無職」あるいは「学生」と書きます。主婦のプロっていう仕事をしていないので、主婦とは書けません(あ、AOL英語版のプロフには書いてある>すけべなIMを減らすために)。西さんだけがお金を外で稼いでいる今、パートナーも私もネコたちも、望み通りに一廻りか二廻り足りないくらいで暮らしていけるのでそれはそれでいいのですが、私が「遊んでいる」と決め付けられるのはたいへんに心外です。確かに毎日を遊びのように楽しんでいますが、「遠山の金さん」が職業ではありません。たとえ遊び人の金さんだとしても、それが私という人間を知る大きなヒントだと思ってもらっちゃうのはけっこう勘違いです。

なので、「仕事は?」と聞かれると、私は「ネコ使い」と答えています。

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この頃の私は、本当に働きたかったんですよね。もっと働きたかった。今、毎日時間刻みで働いてみて、楽しいことがわかっています。無いものねだりというのは恐ろしいもので、この頃に戻ってみてもいいな、永久に、と願わないでもありません(笑)。そのためには潤沢な資金が必要なので、学費と生活費を捻出できるようになるまで、がんばりますぅぅ!

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