2006-04-03 にアップされた文章です。
渡哲也と松坂慶子が主演していたドラマがあったことは、私も日本に出稼ぎしていたので知っています。熟年離婚という語彙ができたのは、実際はもう20年ほど前の話です。私が渡米してから18年で、その前にバイトをしまくっていたときに、その言葉がありましたから、もう20年くらいは経っているわけです。
が、統計によると、この10年ほど、日本では熟年離婚が倍になったとのこと。最初の10年は、「トレンドとして認められない数値程度の現象」だったものの、ここ10年は、離婚は若いときばかりのトライアルの時期に多いもの、ではなく、結婚して長きを経ても離婚はありえる、という通念として捉えてもいい現象になってきたということですね。
通念:一般に共通した考え。
私が謎なのは、「なぜそんなに長いこと待つのか」ということです。掲示板でも、40代後半から50代の人々がよく、家庭内離婚だの、不倫相手募集だの、とポストしていますが、日々のチャンスを捨てて、根本的問題解決をせずに、どうして放置しておけるのか?というのが謎なのですよ。
ひとつは、私には子どもがいないため、「子どもが育つまでじっと耐える」という概念がわからない、というのがあります。離婚家庭の子どもの心理というのは、さんざん習いましたから、結論から行きます。
「離婚家庭に育った子どもが、成長していく過程で取り返しがつかない傷を受けるのは、離婚そのものではなく、離婚のプロセス最中や離婚後の両親の態度いかんによる」です。
我慢して家庭を壊さないようにし、パートナーがいないところで、もう片方の悪口を言いまくり、子どもが中立に立たされ、どちらかの味方になるよう迫られたりするのは、とてもつらい傷を残します。かけがえのない存在のどちらかを捨てろ!と暗に命令されているのと同義になるからです。大人であっても、何か評価として「失敗」を思わせる離婚には、自己正当化防衛が働きます。その際に、自分の非を認めることができても、なお、相手のほうがさらに非がある、と繰り返すことにより、子どもたちは傷を受けるのです。「愛している大人の片方(あるいは両方)は、愛するべき価値がない人だった」という傷は、愛情の基盤を揺るがすことになるからです。
友好的に離婚できるうちにさっさと離婚する、壊れて修復不能になった結婚生活に長居は無用というのが私のテイクです。我慢し、忍びがたい物事を忍び、それを表情や言葉、ジェスチャーなどにカケラも出さないでいられる、聖人のような人たちは、私はまだ見たことがありません。FBIでも、嘘発見などのトレーニングをしますが、彼らでさえ完璧ではないのです。スパイや法的機関に従事している人々は、リスクが高く、嘘や隠蔽を見破られると生命を落とすことになります。が、離婚を考える夫婦の日々には、まだそこまでのリスクはありません。なので、それほど日々全霊を傾けているわけでもなく、子どもたちにはバレてしまっていることでしょう。ならば、その長い不愉快な刺激をどうして子どもに与え続けるのか?と私は思いますね。
根本解決をしようと努力し、その最中に努力している問題にタックルし、真摯に対処から生まれるケンカなどからの心理的ブレは、子どもたちにもそれほどの影響は与えません。基本態度の問題です。「諦めて何もしない」が、「愚痴やいやみや冷血など」にゆるく生殺しのように露出されることのほうが、ずっと子どもにはつらいのです。さらに、八つ当たりで子どもに直接向けられるものが、暴力や健康の危機などであれば、離婚以外にオプションはないでしょう。
さらに、離婚したあとの女性と子どもの生活の経済的保障問題があります。おそらく熟年離婚のほとんどは、こちらのほうが、現実的な問題なのでしょうね。サラリーマンは、年功序列がほとんどで、いくら終身雇用制度が崩れてきたとは言えども、かなりな歳にならなければ、養育費と慰謝料をきちんと保障するだけの経済力が、男性のほうにないからなのでしょう。さらに、女性も労働せずに、専業主婦になったのであればなおさらです。仕事を持ち、さっさとダメになって修復不能な結婚生活から抜け出ることは、この経済的将来の不安のために、延期されてしまうのですね。
当然、ここでの話は、「いい・悪い」ではないのです。が、1970年代以降からは、女性の雇用もどんどん進化しています。もう35年以上前の話ですよ・・・。当然、男性と対等になるまでにはまだまだ時間がかかることでしょう。が、努力して報われる場は、確実に増えてきています。その努力をしてこなかった、しない理由はどこにあるのか?やはり子育てなのか?が、女性でもキャリアを確立している人々はたくさんいるし、その中でも子どもを育てている人たちはたくさんいます。せめて、専業主婦を選び、子育てに専念したとしても、少しだけ余った時間で、こつこつと習い事をし、手に職をつけ、その耐え忍ぶ時間を減らすことはできなかったのでしょうか?
定年退職やその間際を待ち、離婚しても経済的に立ち行くまで待って、その数年(ひどいケースでは30年近く)を、ただ待つだけの暮らしって、離婚したあと、食べていけるにしろ、「私の人生って何だったの?」とは思わないのでしょうか?後悔のほうがでかいと思うんだけどなぁ・・・。自由になったところで満喫できたはずの数々の出来事や物事、出会えたはずの人々などなど、を考えると、どうして熟年離婚なのか?と、素直に疑問に思ってしまうのです。
チャットでそんな計画を立てている30代の女性に遭遇したことがあります。あと20年どうすんだよっ!と思いましたが、私の出る幕でもなく、彼女の決断です。ただ、自分の意見だけは言わせていただきましたが、見事に嫌われました(笑)。自分の聞きたいことを言ってくれる相手でないと、どうしても嫌うのは、ありがちな話です。
そして、逆に男性の立場になって考えると、一生懸命働いてきたのに、という恨み言になると思うのです。私はこの場合、かなり男性に同情します。が、その香りや雰囲気にまったく気づけなかった個人は、男性であろうが、女性であろうが、身から出た錆ですので、それほど同情には値しないのかもしれません。日ごろの主導権が、熟年離婚に限っては、女性に移る、といういい例なのかもしれません。が、長年をただ待ち続けるという行為は、気が遠くなってしまい、私には可能なことのように思えないでいます。男性の立場になっても同じで、なぜにコミュニケーションが希薄になったことに気づけなかったり、もしも気づいても、そのまま放置しておけるのかが理解しかねるところです。しかも、よそに不倫相手を探して平然としている男性は、ま、定年と同時に、ざっくりお金を奪われても致し方ないのかもしれません。
そして最も私が理解したがい謎は、ホラー映画のようにぞくっとするのは、その待っているあいだに降り積もりがちになる「恨み」です。怒りや鬱憤や我慢が形を変え、積年の恨みになり、その感情をずっと持ち続けていくだけで、私などはダメになってしまいそうです。「復讐したい」という気持ちを持ち続けていると、自分のほうが侵食されてダメになることは、私は経験しました。ポイントは、他人が自分の人生をどうこうしたわけではなく、自分がしたのですよね・・・。
熟年離婚にはそんないろいろな想いが交差します。かと言って、私は熟年離婚した人やしようとしている人を、いい悪いと責めるものではありません。ただ、もっと核になる考え方を使うと、「待つなら待つ甲斐のあるものを長く待とうよ」というのが私の意見です。
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