猫たちを観ているとほとほとその「好奇心」の強さには驚かされます。少しの物音でも少しの動きでも少しの変化でも、自分が気づいてしまえばどうしても観ておかずにはいられず、他県開始あるいはチェック機能のフル稼働になるんですよね。そこで、たとえつまらないものであったとしても、チェックしたあとのあの清々した顔。あるいはごまかしておっとりと毛づくろいを開始するしらじらしさ(笑)。
いいの、チェックしたんだから、っていう態度は大いに学ぶべきで、これはずっと肝に銘じているところ。
「やらなかった後悔」は「やった後悔」より深く長く残り、人生最大の苦痛になり得ると危険性を伴います。だってね、年を取って動けなくなったらと思うと、何もできなくなるかもしれないじゃないですか・・・。やってしまったことは時間が解決しますが、未実行のことは「もし〜していたら」という妄想が膨らみ続け、自分に対してまったく納得がいかなくなる・・・。(◎_◎;) そうなるとその「やらなかったこと」がどんどん無駄に膨張し続けていくと思うんですよね。
「やらなかった後悔」にまつわる哲学的・実践的視点←これはA.I.に検索してもらった
後悔の構造:やった後悔 vs やらなかった後悔
やった後悔: 過去の失敗や結果として残り、時間は経過とともにその痛みを癒やしてくれることが多い。
やらなかった後悔: 「あの時やっていれば」と想像し続け、日々、後悔がより大きく、厄介なものになっていく。
哲学的背景:キェルケゴールは、「自分自身でいない」こと、つまり「本当の自分」として生きないことが世界で最も不幸なことだとした。ハイデガーは、死を意識することで、他人の言葉や社会の常識(「世人」)に流されず、自分の人生を本気で生きる(「先駆的覚悟性」)ことの重要性を説いた。
格言・信念:
「やらぬ後悔より、やる後悔」:マキャヴェリや多くの偉人が残した言葉であり、失敗よりも行動の欠如こそが問題とされる。
「勇気は一瞬、後悔は一生」:行動の瞬間的な怖さよりも、しなかったことの生涯にわたる重さを対比している。
なぜ「やらなかった後悔」が深刻なのか
自分自身の可能性を自ら閉ざす行為であり、「自分の人生を生きなかった」という深層的な未完の感情(ツァイガルニク効果)が残るためです。
そうだよね。ここをわかっているかわかっていないかで、人生の価値観の順位が変わると思うんだよね。母はいつも言ってました。「試してみたっていいじゃない。やらないよりはやったら気が済むんだから」って。でもね、彼女はちと考えなさ過ぎてすべてを網羅しようといた感もあり(笑)。でもやはり私は彼女の娘なんだなぁと思うことが大いにあって、これもそのひとつ。ありがとう<(_ _)>
そしてそれを毎日猫に教わっているとは!すごすぎますね、このいい環境は。






