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献血しようよぉ!

03/15/2007 にアップした文章です。

 

書きためをしていたエッセイがなくなってきており、たいへんに焦っています(笑)。あと2編書かなければ、物理的時間が確保できず、空きを作ってしまいそうなため、またもやニュースを物色していました。なんと!献血がぐんぐん減少しているというニュース。これは聞き捨てならぬ・・・(池波正太郎全集をさらに読み進めているため、けっこう武家言葉が身についてきている・爆)。せっせと献血しないと、病気や怪我の手術のときに喘ぐ人々の輸血が間に合いません。人助けのかなり簡単な形は、献血から♪です。

元記事はコレ。
献血の減少
単純に、500万人というのは、人口が1.2億人だとして、24人にひとりしか献血していないことになります。赤ちゃんや子ども、老齢者を抜かして考えたとしたら、きっと10人にひとりくらいは献血してくれているのだろうね。が、が、献血が好きな人というのがいて、献血手帳をお財布にしっかり肌身離さず持ち歩いている方々というのは実在します。実は、渡米前の私がそうでした(笑)。父に倣ったことなのです。父は、毎月献血をしており、それを25年だか続けて、わりと定期的に感謝状をもらっていました。口癖は、「コレくらいしかできないからなぁ」というもの。私が初めて献血したのは、試験場です。車の免許でなく、教習所に通うために原付バイクの免許を取りに行ったときのこと。16歳の10月でした。以来、駅前やその他、献血車を見ると、どうもふらっと寄ってしまうわけです。いい時間潰しにもなり、心は晴れ晴れとし、存在意義があることを感じるいいツールだったのです。

献血の詳細。歴史もあります。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AE%E8%A1%80 

帰国してからまだ一度も献血をしていないので、ぜひぜひしなければなりません。なぜか昔と違い、調布駅前には献血車が来なくなりました。狭いせいなのか、開発が進み、車の規制があるせいなのか。試験場にもしばらく行っていないし(とっくに失効している運転免許証なので、ゼロからペーパーテストと実地試験を受けるのですが、国際免許で違法ではない期間なのでまだ迫られていない気分なのです)、武蔵野赤十字病院に行く用事もなく、ついつい遠ざかっています。しかも、まだ、献血車は帰国してから一度も目撃していないかもしれません。新宿駅の中に、献血ルームというのがあるのは知っています。そこで検索・・・。

http://www.jrc.or.jp/sanka/blood/index.html あったあった♪ここで検索すれば、最寄の献血案内がわかるわけね・・・。立川にもあったのか・・・。横田基地に通っている最中に、時間があれば行けるかもしれないのですが、16日までなので、赤十字か試験場に行ったほうが早いかもしれません。

私は、アメリカでは献血は定期的にやっていました。大学に来るのです。体格(体重と身長と血圧等)により献血量は決まっており、それを受けるか受けないかの質問をされます。私はギリギリまで採ってもらっていました。ジュースだけではなく、クッキーやビスケットやチョコレートと、献血センターの水のボトルがもらえました。でっかいのよ、1リットル用なの(爆)。なので、家に職人さんなどが来る仕事(排水回りや電気やケーブルテレビなど)が来るときに、麦茶を出してみて(実験みたいだけれども)好きだと言ってもらえたら、それに入れてあげていました。いい使い方でしょ?

アメリカでは、同時に「骨髄バンクに登録してくれるかどうか」を尋ねられ、私はそのカードも持っています。が、一度も照合・マッチしたことがないらしく、まだ連絡は来ていません。はや13年ほどになりますか・・・。肉親のマッチ率が最も高いのですが、これだけ白血病があるにも拘わらず、私とマッチする骨髄を持った疾病者がいないのは残念です。もしも、呼び出しがあったら、アメリカでもインドでもアフリカでも行くのになぁ・・・。

アメリカに住んでいた最中、日本に里帰りしたときに、新宿の献血ルームに行ったことがあります。当然、時間つぶしだったのです(爆)。でも、有効に使えるからいいよね?と思い行ったのですが、連日飲み会が続いており(たぶんその時点で10日くらい)、二日酔いもバンバン続いており顔色が悪く(笑)、しかも、海外に在住しているとのことで断られてしまいました。感染病の疑いがないにしろ、彼らにとっては「決まり」だからしょうがないことです。なので、日本ではやはり1994年以来、献血をしていないのです。が、16歳から24歳半までは、隔月くらいにはしていたので、けっこうな回数になり、献血手帳も3冊目か4冊目だった記憶があります。が、その献血手帳はどこにもありません。母が捨てたのでしょう・・・。父の葬儀のあとに、父の献血手帳も山ほどありましたが、それらもきっと母が捨てたことでしょう。

そんなわけで、身体が大きな弟に至っては、「献血はジュースをもらう場所」という物々交換感覚でした。弟は、185cmあるので、血液が容易に造られるように見えますし、実際に事実かもしれません。一時期、鳶職(空調機材を運び込む重量鳶と言われるもの)をバイトでやっていたことがあり、筋骨隆々で、献血ルームや献血車の前を通ると、100%スカウト?声を掛けられるのでした。

実際に1ヶ月に一度献血はできるわけですから(それより短い間隔だと辞退されてしまうことあり・どういう規定になっているのか、HPでははっきり書いてありませんでした)、みんなが定期的にやってくれれば、相当な量になり、さらにいろいろな人々が救われることになります。私などは、どこにでも雑草のように転がっているRh+O型なのですが、マイナスを持っており、さらにAB型などは、あってもあってもうれしい悲鳴でしょうね。

やはりエイズ以来、献血をしたい人たちや、生活習慣に入れている人々は減っているのかもしれません。確かに、最初の頃は、歯医者で感染という例もありました。でも、そんな事故は、2007年の今、ほぼ皆無に等しく、悲運だとは言え、天文学的数字なので、宝くじに当たるよりも難しいです。ぜひぜひ、献血はしていただきたい。

私の母の母である祖母は、戦後すぐ、血液を売るほど、生活に困窮していたことがあります。まだそんな経験がある人々が存命していらっしゃると思うのです。そんな時代に想いを馳せ、現代人である私たちができることは、できるだけしていただきたいな、と願います。冗談ではなく、本当に血液はまだまだ生きたナマミの人間しか提供できないものです。

私も、1日6時間睡眠では、体調が不良なのでできかねますが、16日に横田基地の通訳のバイトが終わったら、バンバン定期的にやっていきたいと思います。血の気が多いと呼ばれた小娘時代を思い出し、少し血を抜いてもらってすっきりしたいですね。

しかも、うれしいことに、血液を提供することで、テストが自然に受けられてしまいます。献血を定期的にすることで、自分の体調にも気遣うようになるかもしれません。待ち合わせの時間のつぶし方にも一役買います。しかも人のためになるなんてステキではないですか?今日はさらに父のことを思い出しながら、また、いい気分で眠ることができそうです。献血してねー!

 

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