2006-04-09
痴漢に遭遇した人は、それほど少なくないと思います。私も最初は幼稚園の通園路で、でした。高校生のときには、制服のポケットにコンパスを入れて満員電車に乗り込んでいました。英語的表現だと、”Who is sorry now?” 結局、どっちが後悔する羽目になったのよ?ってことになるのですが・・・。
いろいろな性癖がこの世にはあるようですが、私はこの分野では至ってベルカーブ分布のノーマルなところに入ります。むしろ、性欲が少ないという意味や性的冒険心が少ないという点では、平均値マイナスであると思うのですが、行為や性的嗜好は、真ん中らへんに位置しています。他人に見せながらしたくもないし、3人でやるのは気持ち悪いし、痛すぎるのもイヤだし、痛めつけるのもイヤです。が、他人にどんな性的嗜好があっても、私は特に気持ちが悪いとは思いません。私がイヤなことを他人に押し付ける気はまったくないからです。そんなものは、チョコレートが好きか、塩辛が好きか、などの嗜好の問題で、他人がとやかく言うことではありません。ただし、相手がある行為では、相手からフルに許可をもらっていることが大切です。
コレだけが性的嗜好の最低限のお約束だと思うのです;参加する相手にフルに許可をもらえる状態。
が、痴漢やレイプなどが根底からひどいのは、相手の意思を曲げて行われることです。いろいろな性的嗜好の中でも、私が全面的にダメだとするエリアに、児童への性的虐待を招く(Pedophilia)や動物と性交をした(Zoophilia)り、死者と性交をする(Necrophilia)のが好きだという嗜好があります。他人の権利を侵害することは、そもそもダメです。あってはいけないことです。
そういった嗜好がある人々はとても気の毒ですが、社会動物としては許されていいことではないので、自ら救いを求めて努力したほうがいいです。カウンセリングもありますし、薬もあります。生涯治らないと諦めているのであれば、隔離された状態の小社会に住むことを選択する手もあります。実際に、USで自分のそんな先天性を嫌い、司法の力を借りて、ホルモン治療やCastration(去勢)を自ら請う受刑者も驚くほどの数がいます。
私が理解できないのは、折り合いです。日ごろの自分の中に、「反社会 VS 社会協調性」のせめぎあいがあるわけですよね。ミニチュア版の、ジキル博士とハイド氏を続ける暮らしっていうのは、つらくないものなのでしょうか?ネットのニュースでもひどいのがありました。17歳の少女に集団強盗していた様子を、会社の備品であるカメラで撮影していたというお粗末さ・・・。自分で証拠残してどうするんだか、という問題でもありますが、自前のカメラを使うのではなく、あくまでみみっちいというのも不思議です。
余談ですが、シリアルレイピストやシリアルキラーにありがちなのが、Memento(記念品・形見)を被害者や現場から持って帰る傾向があります。賢ければ賢いほど、他の人にとってはまったく意味がないものを選び取るのですが、愚かだったり初心者だったりすると、免許証やその他、警察にとってありがたいものや、事件の様子を語れてしまうものを持ち帰ることになります。
しかも、なぜそれを持ち帰るのか?という動機が気持ち悪いのですよ。私たちが家族写真を撮るのと同様、形見分けをしてもらって故人を懐かしむのと同様、レイプや殺した瞬間を、何度も生きるために持ち帰るわけです。気持ちの悪いエネルギーが作用しています。今、デジカメなどが手軽に誰でも使え、携帯にもカメラがついているものが割とお手軽な値段で使えるようになりました。電車の中で他人のスカートの中を撮影しているバカはいるに違いありません。その人たちが、会社勤めや学校やその他を暮らし、、普段の生活の中のエアポケットになったような時間に、それらのMementoを大切にしているところを想像すると、かなり気分が悪いです。
なぜならば、そのときだけ存在を壊されたわけではなく、精神的に何度も何度も、暴力を受けていることになるからです。ひどい場合には、生き残れたサバイバーは、そんな品物があること自体が許せないわけです。
私は、この概念をもっとマクロに捉えており、昔のボーイフレンドからもらった物品などは、なるべく手元に置かないことにしています。引越しの最中、バンバン捨てることができる自分を再確認しながら、自分にまつわることを思い出す以外のものを、私は持たない人間なのだな、とさらに意識しています。
性的意識や本能は、乳児の頃からあります。それが健やかに育っていくためには、環境や環境の中にいる大人や同年代付近にいる仲間たちが役割を担っています。先天的な性格も大きく影響しますが、性的欲求である本能の部分を行動に移すかどうかは、大いに環境が象るものです。小さい頃に、性的虐待や暴力を受けてしまうと、その後、健やかにその部分が育たなくなる可能性が増えます。が、あまりに大ごとにし、それについての注意力を焦点にすると、さらに悪くなる傾向もあり、この按排はとても難しいです。
私は運よく、ひどい痴漢に遭遇したとは、自分では思っておらず、性的暴力を受けたとも思っていないのですが、性的好奇心や解放度は、平均よりもずっと低いです。それは、大人になってからの性的+の被害のせいであり、いくつになっても、傷つきやすい存在であるのは、生きるものの宿命です。30代になってからの被害で、たくさんのカウンセリングである程度は癒えたはずですが、特に性的ピーク年齢に戸惑うこともなく、この時期を過ぎてしまってもいいな、と思っています。どちらにしても、女性という性に生まれたがゆえに、私はそれほどアグレッシブでもなく、ニーズを感じる必然性もなく、ある程度の快楽を得ることができたあと、そのキリのない上を見たいという欲望もなく、コレでいいのかな、と思っています。
こんな私が他人のことを気の毒だと言えた義理はカケラもないのですが、自分の意志ではなく、他人から侵害されることや事件などを見かけたり聞いたりすると、怒りすら覚えてしまうことがよくあります。特にそれが子どもだったら、と考えると、時には怒りで泣けてしまうこともあります。大人の私があれほどの時間をかけて、あれほどのエネルギーをかけて、ここまでしか復活しなかったのだから、子どもであれば、根底から健やかさを覆されてしまうことになるのは、容易に想像ができます。
性癖は互いの了解があればどうでもいいにしろ、本当に、他人の権利や自由を侵害するような性的暴力は、なくなってほしいものです。が、ネットがコレだけ進化したのもポルノのおかげであることは充分理解しているし、風俗産業は絶滅することもなく、ヒップハングのジーンズもサイクルを繰り返して流行し、谷間を見せ付けるような洋服も日常です。私のような人間には、それらはまったくの誘惑ではないですが、10代の男の子や、10代の男の子のままでいる男性には、たいへんな誘惑になることでしょう。むろん、その誘惑に負けて、行動に移してしまったら、本人の非です。10代の男の子の欲望レベルを助長するように、女性であることを武器にして生きていくことを選んでしまう女性にも、私は哀れを感じてしまいます。
信頼がかなり大きな人間のおつきあいの中の鍵なのですが、それがまだまだわからず、いや、わかっていても、ネットだからお手軽だから、と性的興味をはちきれんばかりに露出して徘徊している、10代の男の子のままでいる大人の男性には、嫌気がさします。彼らは、自分が気づくことなく、法的にひっかからない程度に、人を傷つけてきたのだろうな、と推測すると、さらにイヤーな気分になってきます。
そんなことをつらつら考えて、なんだか今日はまとまりがないまま終わります(笑)。
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