皿洗いの温度

子どもの頃はまだ瞬間湯沸かし器がなく、チョイスとしてお湯でお皿を洗うという贅沢がなかったので、途中からお湯でお皿やコップ、フライパンや鍋を洗うことが選択肢となったことに感動したか?それが・・・(◎_◎;) 私はキッチンを使ってはいけないという禁止令を出されていたクチです。なぜか?

壊滅的に料理ができなかったのです。(・。・;

母の口ぐせは、「この子が作るとインスタントラーメン(袋のやつ)もノビノビになっちゃって!」でした。本当だったのです(笑)。なので私は焼きそばや焼うどんを父に作ってもらってま

した、21歳まで(笑)。そのあとスパゲッティが茹でられるようになり、ナポリタンだけがレシピになりました。ミートソースを作ることすらできなかった・・・。インスタントの箱が1種類しかなくて、それをどうやればあの形になるかも想像できなかったのです。(-_-;) 

そのあと24歳8か月で渡米後2か月、料理を開始するまで、他のヒトに供せるものを作れたことが皆無でした・・・。(^_^;)

それならば家族のために皿洗いくらいはしたのでは?という疑問もあるかもしれません・・・。ところが、母は貧乏対策に磨きが掛かった人だったので、私の洗剤やお水やお湯の使い方が気に食わないのですね。無駄が多いということで。さらに、お皿やコップを割る率も高めだったということで、禁止令はそこまで出ていたわけです。

自分が食べたものくらいは洗いたかったんですが、何しろ作れないので特に汚すようなこともなく、父や母、果ては弟頼りまでしていたので、お皿は出なかったですね・・・。コップは洗ってましたが、1つだけ(笑)。常にひとつ・・・。(^^;)

アメリカに渡ったあと料理ができるようになってからは、お皿洗い開始したんですよね。しばらく食洗器を使えませんでした。1名から4名分の食器に食洗器は要らなかった・・・。(^_^;)だいたいが2名分でしたしね。ちょろいもんです。しかも料理しながら鍋釜も洗えてましたし・・・。昔は、食洗器に入れてもOKなお箸やお椀がなかったので、それもあったかな。

そして日本に戻ってきてからもまだ母が洗わせてくれる機会はうんと少なかった。今回はダメ!とは言われていないんですが、母は独楽鼠のように働く人だったので。

そして彼女の介護が始まってから、私が100%の確率で洗い物をすることになってから、生まれて初めて手が荒れる、という経験をしたのです。びっくり!(笑)日本の冬が寒すぎて、お皿をお湯で洗うようになったからです。それまでずっとほぼお水で洗っていたことすら気づいていなかった(笑)。

ハンドクリームをきちんと定期的に使い始めたのは、実はまだ8年ほどしか経っていないのでした。所有くらいはしていたんですが、ニベアの青い缶を買っても3年以上持っていたというすごい記録持ってます(笑)。

びっくりすることに、母が最期に使っていたアロエのハンドクリームまだ残ってます。亡くなったのが2年半前で、185gの大きなやつをほぼ丸まる遺してくれたんですが、今年中に終了する感じです。消耗品ですら使い切るのがたいへんなワタクシであったのだ・・・。(◎_◎;)

たぶんお湯で洗い物をするのは11月半ばくらい。シャワーの温度はようやく37℃から39℃になり、寒いなと思っても40℃。真冬で同居人が42℃にしているのをそのままにするのはおそらく12月に入ってからだと思われます。

この調子なので、洗い物の温度もけっこうぬるいんじゃないかと思っているのでした。どうだろう?ちなみにゴム手袋持っているだけで使っていませんので、もうヘロヘロになっていて使えないかも。(-_-;)