最近は子どもたちに、こういう指導がなされているようです。USでは、Silicon Valleyでもみんな挨拶しまくりで、やはり日本よりは田舎なのかなーと思うところが多いため、8年弱前に日本に戻ってきたときには、たいへんな違和感でした。一朝一夕で自分の習慣を大変更することは無理すぎだったので、私はUS仕様で、出遭う人々にそれなりに挨拶をしていたのですが、それはもう単なる「不審者」な行動だったようです。もしも夜中だったりしたら・・・、きっと職務質問レベルなのか?などと、今振り返るとわかります(笑)。
子どもたちの外遊びは、戦後から70年、徐々に減ってきて、40年前が子どもだった私からしてみると、激減の感があります。しかも、大人がいっしょでないといけないという保育園・幼稚園・小学校などからの指導があるのが現実のようです。生徒さんの親御さんからは聞いています。
USでは物理的に過疎な場所ができてしまい、知らない人が危険である確率が高い!という場所はかなりたくさんあります。それでも、みんな挨拶はするのです。いや、だからこそ、挨拶をするのだろうと思えるのです。
知らない人を知っている人に移行する、という行為が為されないのか?というのが疑問なのです。いちいち知っている人にするには、やはり東京や大阪などの大都会は無理があるんでしょうね。人口密度が高すぎて、みんなと知り合っていたら物理的に時間が足りないですし・・・。
最近、Amazon prime videoを見ているのですが(これ、驚異的にオトクだと思います;年間3000円で、翌日配送サービスの他、このビデオはPCで見放題。たぶん700本とか1000本とか観られるんだろうと思うので、宅配サービスなどをしていてもTSUTAYAなどのサービスはもうおしまいだろうな、などと思えてしまうほどです)、その中には私が見たことがない日本のドラマなどもあり、つい最近『三匹のおっさん』というのを観て、シリーズ2(1が好評だったため、2もあったんだそうです)のエピソード2に、知らない人と口を利かないというテーマの元に、ドラマが展開されているのでした。
本当にお子さんを育てるのはたいへんだけれども、ドライでカサカサな人間関係しか結べなくなってしまうような環境では、ちょいと未来には繋がらないことになってしまうよな、と、危惧です。「子どもが嫌いでなぜ悪い!?」と公言する人も多くなりました。へいへい、それは個人の自由です。けれども、子どもだってだけで嫌いっていう理屈は、とても子どもっぽい(笑)。置き換えてみると、「アジア人だから嫌い」「日本人だから嫌い」にも当てはまるんだけど・・・。個人の選択の末に行き着いた言動に、嫌悪を持つのはきっと人生で勝ち得てきた、なんらかの法則性があるのだろうけれども、生まれながらに、本人に選択肢がなかったものに対して、差別的な嫌悪を示すのは、ちょいとねぇ・・・(汗)。
ただ、親御さんたちにもゆとりがなく、知らない人を峻別するプロセスを子どもたちに見せてあげられる時間がないのは事実なのでしょう。切ない。
私が子どもの頃は、近所中のおじさん・おばさん・おじいさん・おばあさん・中高生に囲まれ、「何やってんの!」などと怒られたり、「挨拶は?」と催促されたり、「どうしたの?」と心配されたり、と、本当に恵まれた環境だったのです。家の前で遊んだり、公園でも井戸端会議のおばちゃんたちが見守っていたり、など、安全な環境でしたね。とはいえ、そんな中でも、小学校6年間だけで、私は道端痴漢に5・6回は遭遇しています。それでも大事に至るようなことはなく、「騒いで逃げろ」を敢行して回避できたという自負も身につけています。
その恩義を、今も少しずつ返している日々なのですが、野良猫かと思うと飼い猫だったり、迷子だと思うと目的意識を以ってそれなりに歩いていたりする、などという読みの違いもたくさんあります(笑)。でも続けます。うん。たまに口を利いてもらえるととてもうれしいですしね♪
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