こんなふうに歌に乗せる自分の想いってのは、世代を超えるものですよね:
このような反対論もある(笑)
そして実ればこうした気の利いたことを伝えてみるとよろし:両想いになったら
離婚が成立した今、自分の片想い歴について、いろいろと想いを馳せています。奇しくも、Catherine Deneuve が言っているように、恋はいつもどちらかが片想いなので、たとえお付き合いが成立しても、私はずっと片想いだったような気がしているのです。なんて身勝手な(笑)。
自分では、平均よりも愛情量が多いのだ、と納得するようにしていますが、やっぱり切ない気持ちはずっとついて回りますね。でも、まぁ、愛されることだけに着目したり、愛した分を返してもらいたいと望むことがない、きっぱりした人間にもなれました。それは愛だけではなく、お金にしろ、労力にしろ、すべてにおいて共通項になっていて、自分では、とても満足しています。他者が返さなくてもいいよ、とキラクに思えるほどの、ちょうどいい塩梅の愛情を表現したり、何かをさしあげたり、ということができると、自分のためになっている、と、とても深く感じられて、静謐な気持ちになれてしまうのでした。
今後、恋をすることがあるか?というと、ありますよ。すでに恋はしています。というか、お休みすることはあっても、相手がGeorge Clooneyであっても、山崎努であっても、まぁ、恋心というのは消えませぬ。実際、Mitch Rappなんていう架空の人物に、深く深く恋しています♪実は、その著作をしたVince Flynnにもしばらくは恋していました。脳や発想だけではなく、声にも姿にも(笑)。
私が問題なのは、年下を好きになることはないのです。過去一度もなかったので、この記録は相当なものです。あ、一度だけあったけど、それはPTSDで心が弱っていて、最もそばにいたというだけの問題だと思います(ひどい・・・)。最近好きだなぁと思う人もやはり1歳しか違わず、どうしても私は年下は見ていないようですね (・・;)
若い頃好きになった人で忘れられない人が何人かいますが、最近好きだなぁと思う人もその3人しかいない中のひとりなのです。ひとりは、死なれてしまったIさんで、もうひとりは当時消防士だったHくんです。そしてそのあと、渡米してからKurt Russelを死ぬほど好きになるわけです(笑)。
若い頃からの思考や嗜好は、自分で意識して変更しない限り、さほど大きくは変わっていきませぬね。ですので、私はまたもや片想いを続けることになるのですが、ここに元配偶者は入るのでしょうか?ここがささやかな危惧です。入ってほしいのだけれども、今はハンディをあげたいくらい満身創痍なので、念や想いを送ることすら憚られる気持ちです。そうして抑え込むことすら自然になれば、それはそれで究極の片想いなのかもしれません。
今でも、誰かがカラオケで、鈴木雅之の「恋人」を歌ってくれて、私への片想いを吐露してくれるようなことがあれば、好きになっちゃうかもしれないですし(過去、そういうことがありました、ってゲロしてるようなもの?焦)、黄色い薔薇を一輪だけくれたら恋に落ちてしまうかもしれないですし、熱があるかどうかを額をくっつけて測ろうとしてくれたらドギマギしてしまうかもしれないですし、今後のことはまったくわかりませぬ。
でも、やはり、ひとつだけ言えてしまうのは、私はやっぱりいくばくかを返してもらえるラッキーがあったとしても、叶わぬほどの熱望を持ち続け、ロマンスを追い求め、決して満たされることのないボロボロな気持ちも同時に持ちつつも、笑顔で毎日を楽しく暮らしていくんだろうな、死ぬまで、ということ。
やっぱり恋ではなく、吉田兼好ライフを目指したほうがよさげだな・・・。ステキなIさんの想い出もあるしね。
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