虐待などをしてしまう親は、自分も親にそうされてきたのでしょうか?負の連鎖は続くのでしょうか?
残念ながら多くの場合はそのケースが当てはまります。ヒトは自分の居場所である「家庭」の立ち位置や中で行われている行動を「基本・基準」とみなします。そこで行われていることが「不自然」だと気づくことは稀ですし、たとえ成長したあとでも「自分の大きな部分を否定すること」はとてもつらい、忍びないことなので、たとえ不自然だと感じても「是」「良し」としてしまう傾向があるのです。なぜつらいのか?やはりヒトは自分が最も好きで、そのためには何でもするようになっているわけです。生き延びるためであれば、というメカニズムは不思議なものです。
親に虐待された経験がなくとも虐待してしまう大人は、傾向としては、
- 貧困状態である、経験したことがある
- 人付き合いが上手ではない
- 実子ではなく、連れ子を虐待する
- 被害者意識が強い
- 躾とは何たるかを理解しておらず、暴力も躾のうちだと考えている
- 信じられる友人関係がない
などが挙げられます。
もちろん、虐待経験がある大人であっても、これらの要因が増えれば、なおさら虐待してしまう可能性は増えていきます。
負の連鎖を続けたくない場合には、この逆を行くことですよね。
- 経済的に自立する
- コミュニケーションスキルを上げる
- 子育ての何たるかをしっかり学ぶ
- 家族や友人に対する信頼度についてチェックを怠らない
- 家族を持つという意味について考えを深める
というのが具体的なことになるでしょうか?
私も子どもの頃は殴られる・叩かれる・怒号を浴びせられるは、かなり日常茶飯事でした。が、私個人は100%暴力反対です。例外として認められるのは、子どもが危険な目に遭いそうな場合にその大なる危機を回避するためにならば、という条件をつけるくらいでしょうか?たとえば、ストーブや車や危険人物の前で、といった感じです。
なぜ私が真逆に行けたのか?というのは、さほど珍しい話でもないですが、むしろ、もっと危険なのは、大人になってからも「虐待・放置に近いこと」を我慢してしまって当たり前になっている、という現象です。
夫婦間のDVのみならず、罵声やケンカの最中などの無理強いや、論理的にはどう考えても整合性が取れないことを強要してくる人間関係にまみれていても、その柵(しがらみ)から脱け出す勇気が持てない、というのではなく、「当たり前」だと思っていることが怖いです。
過去の経験はいくらでも変えられます。変えようとするかしないか、の2択でしかないと思うのです。大きな川幅に見えるかもしれませんが、飛ぶことはまったく可能です!



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