04/30/2006にアップした文章です。
私個人は結婚式を挙げていません。結婚式どころか、婚約・結婚指輪も所有したことがありませんし、記念のための写真を撮りもせず、披露宴も行いませんでした。その後、いい加減な性格のためなのか、いつ書類を提出したのか、記念日というものを持っていません。事実、日付は存在するのでしょうが、西さんと私のあいだでは、結婚した日は大きな区切り目にはなっていないのが事実です。
が、結婚式の意義についてはわかっています。なぜ行動に移さなかったのか?経済的なことだけではなく、精神的なことのほうが大きかったことは確かです。が、結婚式をした人たちに対して「バカね」という気持ちがまったくないことはご理解いただきたいです。
8月12日の土曜日にアメリカスタッフのDanielleが結婚式を挙げます。
ビジネスパートナーは、兄ひとり妹ひとりの3人兄弟ですが、彼以外はふたりとも結婚しており、ビジネスパートナーはアメリカからわざわざその結婚式に参列するため、休暇を取り飛行機で往復しました。そのときに作った彼なりのパワーポイントアルバムが、私にはおもしろおかしく、結婚式の意義についての彼の考え方が垣間見えた感じです。あるいは、結婚そのものについての考え方とも言えるかもしれません。
できることなら、私は結婚などせずに、ずっといっしょに人生をシェアしていきたかったのですが、諸事情でそれが許されない状況になり、入籍だけはしたものの、アメリカの書類はすべて結婚前の姓名で通しています。ひとつは、Symbolism(象徴主義)への抗いでした。
象徴主義: 一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、主としてフランスを初めヨーロッパ諸国に起こった芸術上の思潮。主観を強調し、外界の写実的描写よりも内面世界を象徴によって表現する立場。サンボリスム。シンボリズム。表象主義。
芸術は心に大きく繋がっており、表現は心の表象であり、結婚式という儀式を行ったり、社会形態の上で結婚することで、自分の心を表明し続けるというのは、遣り通せればステキなことです。これが結婚式の意義であると思います。が、私は結婚式を挙げて、指輪をし、妻と呼ばれ続けることに不向きな人間であることを、すでに認識していたのでした。祝ってもらうなどというのは、あまりにおこがましすぎました・・・。私以外の、結婚に向いている人たちの結婚式には、30歳過ぎてからは歓んで出させていただいています。
若い頃はどうしてもダメでした。フェミニズムの塊ではなかったものの、特に非国民であったり、日本文化の伝統に反対していたわけでなかったにしろ、結婚という制度に対しての不備を、どうしても許すことができなかった部分がありました。20代の友人たちが親のお金で結婚式を挙げる確率が9割、という現状を見るにあたり、どうしても納得がいかないケースが多かったのです。私も同じ穴の狢です。とにかく留学にお金を費やし、経済的にアップアップしており、結婚式など挙げるお金のゆとりなどありませんでした。
さらに、結婚など「私に限って続くわけがない」と思っていたのです(笑)。ですから、どうしても避けたかった。もしも別れるようなことがあれば、結婚式に来てくれたみなさまに対しての裏切りになります。おかげさまで16年ほどはいっしょにいますが(結婚したのが何年前だったのか定かではない。たぶん、父が死んだあとだったので、14年前くらいだとは思うんだけど・・・爆)、この先も離婚しないとは限らないので、いい加減な私は、いい加減なままでいたかったので、結婚式は挙げていません。「写真くらいは」とい周囲の声を聞かなかったのも、社会や西さんと私それぞれの人間関係をすべて合わせた小社会を背負うような覚悟がなかったこともあります。ですから、私は駐在員の妻としてまったく失格でしたし、主婦らしいことができず、主婦と言わないで通してきました。妻であることも同じで、書類上では税上では既婚ですが、特に結婚しているという意識はありません。子どもがいないせいもあるのでしょう。
それに、自分の選択であった西さんを、誰か自分以外の人たちに認めてもらいたい・祝福してもらいたい、という気持ちはカケラもありませんでした。西さんが私を自慢して披露したい、という気持ちがなかっただろうことも、私の救いでした。
これらの想いを踏まえて・・・。
もちろん、人生に保証が100%ついていることはありません。が、結婚式を行い、人様を招き、祝福を受けるというイベントの大切さを、本当に咀嚼し、その上で臨んでいるのかどうか?という疑問があるケースがまだまだ多いのは事実です。
派手婚が減り、地味婚が増えました。そういう意味では、親御さんにお金を出してもらおうという人々が減ったのかもしれません。あるいは、純粋にお金を新婚旅行や住宅やその他に回しているのかもしれません。名古屋出身の方々には、「結婚式の意義・重要さ」をいろいろ教えていただきました。女性側で箱(家)を用意し、男性側がその中にいれるすべてを請け負う、という豪華なものは、名古屋近辺でも減ってきているようです。
が、同時に、離婚率もどんどん増加の一途を辿っているのも事実です。たくさんのお金を掛けて、すべてがゼロになってしまう、というのもかなりな無駄です。私個人は、そのお金でガーナの友人のご両親が経営する病院に、介護用バスを寄付できたらな、と思ってしまいます。それほどの金額ですから・・・。もちろん、最初から離婚するなどとは、誰も思っていないことでしょう。が、しかし、です。
お金ばかりか、心と時間を掛けて、人々を巻き込み、たくさんの願いをかけてもらった上で、「離婚できない・しずらい」という我慢の連続になりやすい気もします。祝福がアダになってしまうのですね。悲しいことです。
がゆえに、結婚式の規模や何を行うかはとても難しいところです。意義としての、「生涯、病めるときも貧困のときも、必ず添い遂げる」ということを宣言したい、祝福していただき、ご指南いただきたい、は、とても重要です。が、どんな内容にするのか、どのくらいお金を掛けるのか、何人くらいを招くのか、とても大変です。映画でも、結婚式を軸にしたテーマは後を絶ちません。
最初から結婚式を避けてしまった私に、どうこう言えた義理ではないのですが、Danielleの結婚式が、8月12日に決まったことを受けて、いろいろ考え込んでしまいました。彼女は倖せになって、添い遂げてくれることでしょう。慎重で聡明な人なのです。恋を育んできたことも、最小限に抑えてきたくらいですから(笑)。結婚後も、独身時代にすでに購入したコンドミニアムに住み、鮨やさんでのバイトも続け、弊社のために作ってくれた会社経営も続け、さらに6月にはMBAを卒業です。彼女にとっては、この結婚式が意義通りであることを確信できます。とても楽しみです。
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そして現在もDanielleの結婚生活はすばらしく続いており、お子さんにも2人恵まれております♪
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