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考えるスタイル

2006-04-02 にアップした文章です。

Reno, Nevadaからの帰り道で、親友と長いこと話したのが、コレでした。親友と西さんは考えるスタイルが、似たタイプなのですが、ひょっとすると私がNorm(密度の多い分布)から外れているだけなのかもしれません。

脳みそはひとつしか持ちあわせていないので、この脳が動くようにしか機能できず、私は彼女の説明をひたすら聞きました。質問をし、理解し、もうちょっとそこまで伸ばせば、手で触れられそうなくらいになった気がします。違うということ、外れているということ。逆差別されてきたのですが、まぁ、それは笑えるからいいのです。

小さい頃からの謎のひとつに、

- ねね、今、何考えてる(た)の?

- 別に。何も考えてない(なかった)。

という会話があります。

私には、「何も考えていない瞬間」というのがないのです。忙しいよね・・・。いつもいくつかのことを合わせて考えている感じで、ひとつのことを考えてもすぐにそれに繋がるABCが繋がってきて、どんどん進んでゆき、しまいには、最初に何を考えていたのかわからなくなってしまうほどなのです。目と耳と鼻と口と肌(触感)をきちんと即座に分けて感じ、受け止めることができます。あまりに刺激が多すぎて、ごっちゃになる混濁感がたまにあると、むしろそちらのほうが心地よいのです。あー、ごちゃごちゃー!うれしーい!って感じ。

たくさんの刺激が入ってきても、きちんとスクリーンして、程度を遮断するようにコントロールすることもできます。たとえば、私は光にかなり弱い弱視なのですが、サングラスをしていれば、「うわっ!まぶしい!」と気を散らすこともなく、音楽を聴きながら、歌詞を思い出し歌い、喉をお水で潤しながら、タバコを吸いながらドライブをし、さらに、親友が話していることをしっかり聞き、会話がきちんと成り立ちます。その話の最中にも彼女の理解が深まるならば、と、昔話や他の人のエピソードなども盛り込み、ちゃんと元の話へと繋げていくわけです。もっと本能的な、かゆいところを掻いたり、目をこすったりすることは、この行動の数の中には入りません。

が、彼女はそんな私を見ていると、「歌うたってるのに、なんで話をちゃんと聞けるの?音がかぶらないの?両方の意味、ちゃんと取れてるわけ?」などと言うわけです。彼女は、食うことと話すこともあまりうまくコーディネートできないのでした(笑)。夢中になれない私よりずっと楽しいではないですか♪

眠る間際は、脳にちょっとごちゃごちゃ感が起こり、私は「ああ、脳みそがから揚げ状態になった」と自認して、寝るのです。あるいは、飲んでいて楽しく複数の人々と話していたことがわからなくなってくると、「ああ、酔ってきた」になるわけです。行き着けのお鮨やさんのカウンターには10人掛けで、マスターとアシスタントの12人の会話が、最大のときには成り立つわけですが、私は3箇所くらいの会話をちゃんと把握できながら飲んでいます。別に聞き耳を立てているわけではないのですが、すんなり脳に入ってきてしまうのです。誰かのお酒が空になるのがわかってしまい、あまりに長く放置してあると、ウェイトレスやマスターにお願いしたり、自分でごちそうしてしまう、悲しい性なのでした・・・。

親友や西さんには、ぼーっとしている、何も考えていない瞬間が確実にあるわけです。が、問い詰めて話してみると、彼らの答えはこうなります。

- 何かひとつのことを深く考えており、その考えていることが何なのかうまく説明できない>ぼーっとしていた。

- 何かひとつのことを深く考えており、その考えていることが何なのかもわからないほどどっぷり浸かりこんでいる>ぼーっとしていた。

- 誰かに話すほど重要でも伝えたいことでもなく、言いたくないか言う必要がない。

この3つのどれかになるようです。

私にはケチくさいところがあまりないので、「何考えてるの?」と聞かれると、必ず答えるんですね。なので、「何も」「別に」「ぼーっとしてた」などと言われると、どうしても理解しきれなかったわけです。ごまかされている気がして、そんなのを連発されると、「あー、私がここに居るのが邪魔なわけね・・・」などとすねていたのですが、どうやらそれは脳の作りや機能の仕方にあるようです。

私の脳は、おそらく欠陥品なのでしょう。何かに対してものすごい深さで考えることができないのかもしれないです。親友や西さんの深さが深海レベルであんこうやクジラウオなんかと同じような静けさを満喫しており、私は岩で波をかぶっているフジツボか、夏を過ぎたクラゲがプカプカしている波間で、物事を考えているだけなのかもしれません。私の脳は、いつも現実感から脱皮できず、忙しないだけの生き物なのかもしれません。

心理学部だった私は、催眠術も試してみたのですが、やはりかかりづらいようです。他人のコマンドにうまく乗ることができず、覚醒状態が長すぎて、周囲で起きている物事に非常に敏感なのだそうです。が、親友や西さんは、フツーの生活の中でも、周囲の音や起きている物事をまったく遮断できるらしく、その才能はすごいなぁ、と思うのです。私は、その程度や限度をコントロールすることはできても、「ないもの」とすることができません。

そして、禅の境地です。無・虚などのコンセプトが、私にはどうしてもわかりづらいのです。親友や西さんには、そこまで見えているたどり着ける境地なのだろうな、と思います。どっぷり浸かりこむことができるということは、やはり近いのだろうな、と。うらやましいか?うらやましいけどうらやましがってはいけない。自分を貶めることになりますから。

私には集中力はありますが、うーん、うまく説明できないですが、勉強をしていて「捗っている状態」が集中力のあるときで、その解析スピードが集中力とイコールになっています。が、普通、勉強には「たったひとつのことに集中する」性質はあまりなく、たいてい、数学であれば、計算の細かいところと大きな絵柄・セオリーなどがくっついており、私の脳みそでも充分行けるのです。私はその集中力が高い状態でも、タバコを吸いながら、お茶を飲みながら、あちこちのウィンドウを開けながら、辞書や資料をぺらぺらめくりながら、と、あらゆるものを駆使しているので、「ひとつのことにどっぷり浸かる」ことはありません。

うーん、親友も西さんも沈思しているところを見ると、なんだか近寄りがたく、私には醸し出せない雰囲気を持っています。「邪魔するんじゃねーよ。聖地だぞ」というような・・・。

私が、本当にないものねだりなのは、「外界を遮断して自分だけの世界にのめりこめてどっぷり浸かれること」ですね。私は、寝ているときと酔っているとき以外には、コレは得られません。さみしいです。だからアル中がやめられず、寝ることが大好きなのかもしれないです。

同じはずの脳を持っていながら、その微妙な作りの差から、機能もこうして違い、日々の生活や行動も違ってくる。うーん、おもしろい・・・。まだ触れていないし、経験もできていないので、たとえ一度でもいいから経験できるよう、もう少しトライしてみます。我を忘れるくらいすごいこと、できる人って倖せよ♪

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