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自信が持てないのはなぜなのか

最近、教えることが板についてきたようで、もともとの冷たい性格である「人の言うことは丁寧にインプットするが、意見を真剣に言ったら、受け手がどう反映させようとも流す」という基本態度は変わらないにしろ、その意見の言い方に情熱がこもるようになったかもしれません←はっきりわかんないのかよ、自分で(笑)。自分に関することであれば、小さいことでも気になってしまうのではありますが、他人に反映されることであると、やはり「最終的には本人の意思と選択」という自明について抗いようはないので、「他人を積極的に変えていく」ということには、やっぱり慣れていないのだ。だから私は親にならなくてよかったのかもしれない、と、ここでも思うのである。

 

さて、私が勉強法や英語の事実について披露していて感じることは、受け手である生徒さんたちの自信のなさ。これは英語だけに限らず、いろいろな事実について、統計学や真実に基づいたことを披露・発表するときに感じること。なぜ人々は自信がもてないのか。いい意味での自信とは何なのか。

 

自信:自分の才能・価値を信ずること。自分自身を信ずる心。

才能:物事をうまくなしとげるすぐれた能力。技術・学問・芸能などについての素質や能力。

価値:(1)物がもっている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度。値打ち。有用性。(2)〔哲〕 善きもの・望ましいものとして認め、その実現を期待するもの。内在的なもの・手段的なものなどにわかれるが、特に、真・善・美など、普遍妥当性をもった理想的・絶対的価値をいう。

信じる:(1)疑わずに本当だと思い込む。心の中に強く思い込む。(2)疑うことなく、たよりとする。信頼する。3)神仏などをあがめ尊び、身をまかせる。信仰する。

 

ということは、自信というのは、やはり感情だとか直感ではなく、事実に基づいているということが、この語彙の意味から読み取れたと思います。なので、英語学習にしろ、今の子どもたちとは違い、中学から開始して、週にわずか3~5時間程度しかやらなかったり、先生たちが英会話ができなかった状態での教諭や、使えない英語学習などで、すっかりそのあとの人生において有用性を生むように教えられなかったことに、自信のなさは基づいているということです。

 

もうひとつ前段階の大前提に戻ると、人間の先天的な資質というのは、すべてが顕在(目に見えて現われている)しているわけではなく、潜在の部分も相当に多い。そのテイクは個人差がありますが、フロイトの意識の説明によると、人の心の領域は3つの部分に大別され;

Conscious:日常的に自分が自分の心を把握できている部分。とても小さい部分。

Preconscious:コントロール意識層。必要であればアクセス可能で、ほかのフロイトの分類である、ego(感情・欲求・衝動をそのまま自我に伝達する)/superego(ルール・道徳・倫理観などによる自己規制をつかさどる層)はここにあたる。

Unconscious:フロイトによる精神分析が必要である隠れた部分。無意識層で、把握しきれていない部分。不安の根源などがここに埋められているとされる。

を3層の縦の層に表すときに、氷山を使うことがあります。海から出ている部分を外から見えるので、Conscious、海流や潮の加減でたまに見えるのが、Preconscious深く沈んでいる部分をUnconscious。図にしてあるのがこちら>http://allpsych.com/psychology101/ego.html 

 

これを才能や能力に置き換えてみても同じだと解釈するかどうかは、個人のテイク。私は、これを強く信じています。いくつになってもできるようになることがあるのは、それまで「学習しなかったから」だと思いつつ、30歳過ぎてからまたもや大学に通うようになり、ひしと感じています。価値にしてもそれは同じことで、多角的に見ていくことができなかった小娘の頃よりも、同じ対象物に対する価値を高く見出せるようになったり、意味もなく崇めていたものに対して、理論を働かせることにより、恐怖や畏怖、羨望などの邪魔っけな価値を簡素化することができてきています。たとえば、権威などのパワーに対する縮こまり。先天的に生意気である私ですらそうなのですから、自信を持てずに来た人々の恐れはもっと大きいことでしょう。

 

洒落や酔狂でMRIに入ることはできないのが残念です。一度、自分の脳をMRIで見てみるのは楽しいことです。私は疾病がありましたから、自分の脳はMRIで見ています。きれいだ(爆)。脳内ケミカルの分泌状態を説明してもらうと、いやー、誠に辻褄が合う・・・。

 

それに基づき、私はそれまでの「疾病のせいで人様に迷惑を掛けっぱなし」という自信のなさが少なくなっていき、そもそも最初から親しくなる予見のある人々には、しっかり疾病について話すようになりました。このエッセイでも書きまくるようになりましたが、それは私が日本に18年半ぶりに戻ったにも拘らず、ものすごいカウンターカルチャーショックにも拘らず、疾病の兆候がナリを潜めていることです。私もかなり舵取りが上手になってきたのだなぁ、と、自信に満ち溢れている感じですね・・・。商売もやっていますから、たくさんのストレッサーに囲まれているというのに、今の私は、エピソードの数歩手前でしっかり把握して、処理ができてしまうのです。カメの甲より歳の功なんだね(爆)。

 

脳に障害がある人たち以外で、私は英語がマスターできる潜在才能を持っていない人はゼロだと信じています。そのためのプロセス・道のりは個体差があるにしろ、不可能なことではないです。あとは、『英語学習スタートの準備』に書いたように、たくさんの経験の中から生まれた心の問題です。では、その大前提である資質の可能性の無限大さを信じるかどうか?あなたはどっちになりたいでしょうか?頑なに自分を否定し、可能性にチャレンジしない人になるのか、それとも試しに信じてみてチャレンジしてみるか。

 

これは英語を例に取っただけで、恋愛でも適職でも同じです。氷山の海面の下にある無意識のような膨大な量の埋もれている才能を、自らの手で掘り起こすかどうか?

 

が、母などはこういった楽観を理屈にして、いろいろな健康法をTVで見ては毎回試しており、彼女には論理の学習というもんが足りないと思われる(笑)。アレもコレもやって、その組み合わせの論理が正反対であることに気づかないでいたりするのだ(爆)。でも、最近の私は一言だけポイントのみを伝えるだけで、彼女の気が済むことが最も大切だと思っているので、気にしなーい(笑)。彼女ほどPlacebo Effect(プラシボ効果)を有効に使っている人もめずらしいと思うのだもの・・・。

 

直感や感情や衝動というのを全面否定するわけではないです。それを出せる相手というのが少なくともひとりはいる、そんな場面が複数ある、というのは、宝物です。ただし、これは「自分のなりたい自分」とはたいていの人の場合かけ離れているので、開き直ったりするとあとからたいへんに恥ずかしい想いをします。コレはみんな経験があるか・・・。

 

しかもなぁ、自信を持ちすぎても鼻持ちならんやつに成り下がってしまうので、それも気をつけたほうがいい。少なくとも私の英語の生徒さんにはいませんが、通訳をしたときにはそういう人いました(笑)。詐欺や宗教団体やねずみ講などの勧誘なども、そんな自信がプンプン匂ってくるのですが、そんなときにはどんな根拠に基づいているのか、を見てみると見透かせます。やはり自信のない人がターゲットになるのは言うまでもありませんから、騙されてしまった人を非難するものではないです。

 

さらに自信が磨かれるのは、小さくてもいいからたくさんの成功・達成を体験すること。なので、私は生徒さんたちに、何度も辞書を引いたり、いくつもの文章を書いてもらったり、何度も発音をしてもらったり、と、回数にこだわります。質はあとからついてくる。私だってそうして歩けるようになったのだし、九九ができるようになったのだし、英語ができるようになったのだ、とわかっているので、生徒さんがいくつであろうと、やはり基本は同じです。

 

なんだか今日は自分に自信をつけさせるためのエッセイになってしまったようだ・・・(汗)。さ、がんばろう♪

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