簡単に言い切ってしまうとないです。あればいいのになーとは思うんですが、イマドキのトレンドとしては、日本に滞在したことがある外国人で、そのまま Itadakimasu, Gochiso-samaを使っている方々は数人見たことがあります。
英語での食事前のお祈り・食事後のお祈りはあります。が、毎回きちんとやる家族は家族内だけでやる傾向が多いです。
代表的なものはこんな感じ:Grace
私ごときが一生懸命に書いてまとめる必要がないほど、これについてはたくさんオンライン上に書かれています:日本語のいただきます・ごちそうさまと英語対応
ごはんを食べる前の挨拶・合図というのは、宗教観から来ていることが多いのですが、ラテン系の方々は、Grace祈りを習慣化している場合もあります。逆に、それをしないことでいっしょに食べるメンバーの宗教観を思いやることもあるので、一概に「言うべき」というのはないんだろうなと思いますね。ここが多様性に順応した変化です。
日本語の場合には、
いただく:1 頭にのせる。かぶる。また、頭上にあるようにする。「王冠を―・く」「雪を―・いた山々」「星を―・いて夜道を行く」
2 敬意を表して高くささげる。頭上におしいただく。「宸翰 (しんかん) を―・く」
3 敬って自分の上の者として迎える。あがめ仕える。「有識者を会長に―・く」
4 「もらう」の謙譲語。「激励の言葉を―・く」
5 「食う」「飲む」の謙譲語。
㋐与えてくれる人を敬っていう。「もう十分に―・きました」
㋑自分の飲食することをへりくだり、上品にいう。「お酒も少しは―・きます」
[補説]近年、「食う」「飲む」の謙譲語「いただく」を「どうぞ冷めないうちに頂いてください」のように尊敬語として使う人がいる。誤用であるが増えてきている。
6 苦労もなく、手に入れる。「今度の試合は―・いたも同然だ」
7 《「小言をいただく」の意から》しかられる。小言をくう。また、しそこなう。
「道理で茶番のたんびに―・くはずだあ」〈滑・八笑人・初〉
8 (補助動詞)
㋐(動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて)話し手または動作の受け手にとって恩恵となる行為を他者から受ける意を表す。「これが先生にほめて―・いた作品です」「せっかく来て―・いたのですが、主人は今おりません」「一言声をかけて―・いたらよろしかったのに」
㋑(接頭語「お」または「御 (ご) 」に動詞の連用形またはサ変動詞の語幹を添えた形に付いて)8㋐に同じ。「これから先生にお話し―・きます」「お読み―・きたい」「御心配―・きまして」「御審議―・きたい」
㋒(動詞の未然形に使役の助動詞「せる」「させる」の連用形、接続助詞「て」を添えた形に付いて)自己がある動作をするのを、他人に許してもらう意を表す。「させてもらう」の謙譲語。「あとで読ませて―・きます」「本日は休業させて―・きます」
御馳走:豪華な食事。もと、ふるまい。客への供応。もてなし。
この日本語の意味をわかっていて、それを英語で説明できるかどうか?が問われてくるんじゃないのかなぁと思いますね。
謙譲語:humble expression
謙譲語をきちんと使っているのか?それとも習慣だから自然に使っているのか?美しいと感じて使っているのか?などなど、英語でこれらを説明するときには変わりますよね。Graceのほうがいい場合も出てくるかもしれないです。
私が小学生のときに、別のクラスで給食の時間に「いただきます」を強制している先生がいました。意味を刷り込むという意味ではアリだったんでしょうけれども、心からそう思っていない場合は、単なる形式美ですよね。
毎回食べられることに感謝しながら食べているかどうか?ちょっと試してみたらどうだろう?という提案。食べ過ぎてしまう人はきっとコレを忘れている瞬間に、思わず手に取って口まで運んでいる可能性あり(笑)。
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