文化を無視しての言語使用は成立しません。英語の文化的ポジションを理解していますか?日本における英語教育の多くは、これを学ばずして、
日本語 ⇔ 英語 訳
語彙の暗記
基本のキからの積み重ねではない文法学習
の泥沼へとズブズブと迷い込んでいきます。
結果どうなるか?1000-1400時間の学校教育後にも話すことはままならず、それに留学などのおまけをつけても話せるようにはならず、大人になってからも↑上記の偏りを修正することがないスクールや教材で学び、英語を話せる日本人は徐々にしか増えていません。なぜなのか?
夏目漱石、津田梅子、新渡戸稲造は嘆いているかもしれませんね。彼らが予見していた未来からはほど遠いと・・・。
大航海時代: 15世紀から17世紀前半にかけて、ポルトガルやスペインを中心とするヨーロッパ諸国が地球規模の遠洋航海を行い、新航路や新大陸を発見し、積極的な海外進出を行った時代
NHK世界史動画 100分かかるのですが楽しいので時間がある時に見てください。<(_ _)>
アメリカ大陸を発見して ヨーロッパ諸国は沸き立っていました。 征服する場所があるってすごいですよね?そして、イギリスでの問題を解消するためのツールとして使ったのです、アメリカ大陸を。
日本と同様 イギリスも長男全継承が伝統的な遺産相続でした。 それにより何が起こったか? 日本でも 江戸時代には 次男三男がアブレ者になり、冷飯食い・ 居候などと揶揄され、 本人たちも 肩身の狭い思いをしながら生きていったに違いありません。 うまくいけば相続者がいない、あるいは女性しか 生まれなかった 家に入ることができたのですが、もちろん 生まれた姓を 捨てて、新たな家のために生きるという運命を 背負わされたのでした。
同じようにイギリスでも次男三男は行き場所がなかったのです。 土地を分割することも禁止されていたので、 濡れ手に粟、 棚からぼたもち、と アメリカ大陸に新天地を求め、 自分たちの生きる道を開拓することを選んだ人々がたくさんいました。
同時に、イギリスでは宗教改革の過渡期に当たったために、 自分の信じる神と共に生きられない人々がアメリカ大陸に渡ることにしたのでした。
カトリック教会の宗教改革
Calvinの登場による プロテスタントの台頭
イギリス国教の登場
があり、宗教の不安や不満も募っていきました。当時の人々の神との親密度は、私たちが今 想像できる物よりもずっと強く、 近く、 それが阻まれたことに対しての不満はとても大きなものでした。 ですから イギリスを旅立ち アメリカに向かう人たちがたくさんいたのも否めません。
とにかく たくさんの人々が リスクをを背負ってでも 旅路に着きました。 そこで 英語も人々と一緒に アメリカ大陸に上陸することになるのでした。
Mayflower号が東海岸にたどり着いた時には 疲労困憊で、農作業や開拓作業を進めていかねばならず、 住居や食事の確保 から開始し、たくさんの苦労があった中、 人々は力強く生きていきました。 そして アメリカの独立がIndependence Day 7月4日です。この辺は映画で見た方がたくさんのチョイスがあります。 色々な種類のものを見てください。
そしてこの人々が使っていた 英語が米語へと 定着していきます。 そして 本国 イギリスではもっと洗練した言語の使い方にしましょう(^^♪と、 現代のイギリス英語へと変形していきます。
そのあとGold Rush:西部開拓があり、英語の訛りは変わっていきます。みなさんは、 イギリス英語と米語、Australian やCanadianなど、聴いただけで分かりますか? わかるようになっていただきたいなと思います。
この知識を咀嚼して英語を学ぶのは結構楽しいですよ(^^♪







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