実際のところ、英語ができるようになるかどうか?はメンタル80%です!ヒトとして自分がどのように存在しており、どこを目指しており、どのように行動しており、どのような心で発動しており、何にどの程度影響されており、どういう理由に突き動かされやすく、どのような事柄にヘタレやすいか?など、把握しているモノ勝ちです。なぜ発音が日本人バリバリなのか?というのも、実際は何をどのように観て、どのように再現すればいいのか?というのは、メンタルが形成しています。
実際のところ、英語ができるようになるかどうか?はメンタル80%です!ヒトとして自分がどのように存在しており、どこを目指しており、どのように行動しており、どのような心で発動しており、何にどの程度影響されており、どういう理由に突き動かされやすく、どのような事柄にヘタレやすいか?など、把握しているモノ勝ちです。なぜ発音が日本人バリバリなのか?というのも、実際は何をどのように観て、どのように再現すればいいのか?というのは、メンタルが形成しています。
英語を話すのが非日常であれば 確かに 英語を話すというのは恥ずかしいことに属すると言われても不自然ではありません。 ただ少し考えてみてほしいのは、外国人と マンツーマンであれば恥ずかしさは ゼロかほんの少しではないでしょうか?
おそらく これも日本人の文化の 根底にある「相対評価」から来てると思うのです。
恥ずかしさ:自分の行動や状況が他人に見られることにより、心理的な不快感や困惑を感じる状態を指す言葉である。 この感情は、社会的なルールや規範に反する行動をとった時、または自己の期待に反する結果を引き起こした時に生じることが多い。
相対評価が日常である日本の文化の中では、「基準点」「クリアとなる水準や平均」に至らない場合には、できない自分に対して「 恥ずかしい」 感情が湧き上がってしまうんですね。 他人がいなければこの感情はなかなか出にくいものです。
例えば自分が料理を作っていて 想像と違ったものが 出来上がったとしても、笑うことができる。 恥ずかしさに対して 笑い倒してしまって、萎縮したり ストレスになったり という ネガティブな方向ではなく、「 まあいっか」「 食べられるよね」「 次は頑張ろう」などと ポジティブ変換することができるわけです。
では 英会話でも同じことができるでしょうか?
根本的には水準というものを持たなければいいというのがあります。ですので日本人の先生に学ぶよりはNativesや英語を公用語としている先生に学ぶのがいいと思っているのが、「Native神話」であると私個人は考えています。 私と半年ぐらいかけて 英語基礎コースをやっても、「 できなくて恥ずかしい」という気持ちは残っちゃうみたいで、 私が英語を話しかけても恥ずかしさが取れない人はいっぱいいます。 やはり私が日本人だからなのでしょうね。
私がいくら自分が「 つい 文化的には欧米の方が性に合っているので行動規範はそちらの方が多く取っている」としても、どこかが、何割かは 日本文化 なんだから、と恥ずかしいんでしょうね・・・。 しかも 恥ずかしさとは別次元で、私が日本語を理解するので英語を話していても日本語を 入れ込んでしまう、 甘えてしまう、というところが残ってしまうので、基礎が入った後はChatworkで 添削する以外は、Native講師たちにお任せしています。
「できなくて当たり前」から出発する加点法ではいけませんか?
加点方式:物事の判定や評価において、良い点や優れた 点を点数として積み上げていく方法。 減点方式:物事の判定や評価において、悪い点や失敗の 要素に応じて点数を差し引いていく方法。
そもそも何が理想形で正しい英語の話し方かわからないのですから、 水準 や理想形はクソくらえ!です。 ぜひとも 加点法を 採用してください。 頑張ってる自分にケチをつけることなく、Baby Stepsを じわじわと前に進んでいる感じ。 その感覚を大切にしてくださいね(^^♪







コメントを投稿するにはログインしてください。