実際のところ、英語ができるようになるかどうか?はメンタル80%です!ヒトとして自分がどのように存在しており、どこを目指しており、どのように行動しており、どのような心で発動しており、何にどの程度影響されており、どういう理由に突き動かされやすく、どのような事柄にヘタレやすいか?など、把握しているモノ勝ちです。なぜ発音が日本人バリバリなのか?というのも、実際は何をどのように観て、どのように再現すればいいのか?というのは、メンタルが形成しています。
さて、どのような心持ちになるか、シリーズを楽しんでください!
自分の世界の広さのことをMobilityと呼びます。可動性・可動域という意味なのですが、この広さは徐々に赤ちゃんの頃から広がっていくのが理想で、物理的な広さよりは、心と頭で訪ねて実感できる範囲のほうが成人してからはずっと大切なものになります。
太古の昔は移動手段が「歩く」ことしかなかったので、体力と根気と勇気が必要でした。そのため生き延びることができない危険にも遭遇する機会数も増えることで、移動して世界を広げるよりは、留まってそこで生活ができれば上等!となったのが、農耕の開始です。
ところが、欧米はその地理的な位置や天候のせいで、かなり遅くまで農耕が圧倒的中心ではなく、採集・狩猟民族が長いあいだ残っていました。政治や価値観や倖せや富も農耕的なものとは真逆のことも多く文化として継続していきます。言語はその文化の一部ですから、もちろんその名残が今もあることをぜひとも注目していただき、その文化に対しての理解を深めてから、英語を学んでいただきたいのです。そのほうが正しい形をすんなり受け容れることができるからです。
採集・狩猟民族が持つ文化の典型は、群れるよりは個々人が何をどれだけできるか?ということ。実際に狩猟をするには、あまりに多い人数だと瞬時のコミュニケーションがうまく行かず、却って狩るはずの相手に狩られてしまうことも多くあり得たり、ケガや事故になってしまうことも多いので、ひとりから少人数が理想とされてきました。ゆえに、相対評価ではなく絶対評価となるラクさがあるものの、誰よりもできるという生易しいレベルではなく、必ず自分のMAXまでの力を引き出して生きていく、という厳しさも求められていきます。そうでなければ、生き延びられずとも致し方ない、というくらいに。
欧米の言語のうち、英語は文法が簡単であるがゆえに公用語になっていますが、ヨーロッパ文化圏の人々にとってラクなのは、文化的解釈としての言語の使い方が似ているからです。アジア諸国の母語を持っている人々にとっては、やはりとても難しい。現代になり、国際社会になって、自国にずっと住んでいてもグローバルな考え方や生き方が採り入れられるようになってからは、英語は簡単になってきているはずでした。が、やはり日本という国は、鎖国が長かったためなのか、不思議な歴史を背負い、他のアジア文化とも違う部分が多いため、英語が話せるようになるまでの道のりは、少し長くなってしまうようです。
文化ごと学び、せめて英語を使うときだけでも狩猟民族マインドを纏うことができるかどうか?マスターするためには、できたほうが速く&早くなるのです。
文化ごと英語を学べるスクールや教材にぜひとも出遭ってください。<(_ _)>
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