まずこのタイトルの大切なことは、 質問をしてもいい雰囲気をクラスルームで作っているかどうか が第一です。 私の小中高の体験から行くと、 そして 多くの生徒さんたちの 感想も聞いてみると、いつしか クラスルームというのは頭のいい人しか 質問はできない状態になっている、ということが 大多数でした。
どうしてそうなってしまうのか?
おそらく 文化的 全体主義では、「1人がみんなのために、 みんなが1人のために」を 目指しているから なんでしょう。 なので 質問の状態でも、「みんなが聞きたいと思っている質問をできる人」じゃなければ質問をしてはいけない し、他人の時間を無駄に使ってはいけないという不自由な気持ちにしてしまうからなのかもしれません。
まあ 私の場合は授業をまともに受けていなかったので、質問なんてほぼしなかったんですけどね。するとすれば学級会 やレクリエーションについての自由度をとうような質問でしたけど(笑)。 あれも なんでおやつが300円までとか意味が分かんないですよね(笑)。
これをクリアにできる先生はとても少ないかもしれません。 すでに半分ぐらいがだめなのかも・・・。
Natives講師も、日本人が何がわからないのかがわからない、という状態は長く続くと思います。気づきとして採り入れて、きっちりやっていくというよりは、プライベートレッスンでマンツーマンになったときに気づく、というのがかなり多いのではないかと・・・。(-_-;)
母語が日本語ではないことや、文化的な違いを想像することはなかなかできないのかもしれないです。ですので、philippinesの先生が重宝されるのはそうした意味もあるのかもしれないです。
(余談ですが、私はフィリピンパブにたまに行っていたのです>英語が自由に話せるから。やっぱり少し話したい!と最初の頃は思ってましたしね・・・。彼女たちは日本の昭和の女性と同じくらいに気遣いがすごいです!)
そして、その次に質問力を育てるレッスンをするってこと。わからないことに興味が持てないまま、まぁ、いいや、っていう気持ちには決してならないようにする。これがわかるとこんなにすばらしいんだってことや、その次にはコレもわかるようになるってことをご紹介して披歴する。
その先の先には何が待っているのか。この扉の向こうにはどんな冒険があるのかを楽しくレッスンできる講師でないと、きっとこのMomentを昇華できないです、生徒さんは。
そして、実際に質問をしてもらえているかどうかをしっかり見極められて、質問の内容を解析できることが大切だし、実際に質問に応える&答えることができているのかどうか?が最終的な問題になります。
満足の行く答えではないのが英語のありがちなやつ。
こうは言わない。母国語で話す人はこう言う。
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これじゃ、完全には質問に答えたことにはなっていない・・・。(・・;) なぜそう言うのか?どうしてそれが定着したのか?他にどんな言い方があるのか、などなど、探求心が進む答えをきっちり準備していることや、自分がわからないことに謙虚に、「調べてくるからちょっと待ってくれる?」と言えるのが理想ですね。
そういう先生に私は何人か出遭っていて、大学に戻ったときにはそういう先生のほうが多かったことで、とっても世界が広がりました(^^♪ 子どもたちにもそういう先生に出遭ってもらいたいです。






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