うーむ、ひとつ抜けています。過去のことも入れ込んでもらいたいですね。(^^; 私個人の体験では、
1.目の前にある今のこと
2.先のこと
3.過去のこと
で完成します。
目の前にあることをいかにしっかり見ていないのか?は、小さい頃に「観察日記」をつけたことがある人なら経験したことがあるかと思います(笑)。障壁はいくつかあります。
1.Self-serving bias:any cognitive or perceptual process that is distorted by the need to maintain and enhance self-esteem, or the tendency to perceive oneself in an overly favorable manner. 自己肯定感を保ち、増やしたいという内的傾向、あるいは自己に有利になるような物事を見たり、聴いたり、採り入れる傾向。
人には完全体というのがありませんので、心理的発達が未熟な場合、これを多く使うことになります。うまく行かないことについて、他者のせいにしたり、無視したり、なかったことにしたり、あることすら認めず、自分に都合のいいように解釈するわけです。それは、自己の外側にある世界すべてに適応されるので、目の前にあることを「すべて」見ることはなかなかできないわけです。
もちろん、すべて見る必要もないかもしれませんが、ここで、「大切なこと」を落してしまっているかもしれない、という可能性は否定できません。
2.インプットスキル
ヒトはまず五感で物事を入れ、その後、感情で処理し、そのあと初めて言語や数式などを使って、複雑なものを解析しようとします。前頭葉までインプットしたものが届くかどうか?は、個体差があるので、ここでもどの程度拾えるか?が問題になります。
3.解析スキル
たとえ、目の前のことを自分なりに把握したとしても、それについてどうしたらいいのか?を考えることができるかどうかは、またまたさらなるハードルです。最善・最良の選択ができるかどうか?いつも問われているわけです。
見るだけでは済まない、というのが悲しい現実なのでした・・・。(・・;)
さらに、先のことの理解ですが、この時間軸が長くなればなるほど、複雑なことになってきますし、思いもよらない原因や関連性が見つかるので、じっくりと腰を据えて考えられるときは、かなり有効です。
ヒトは大脳皮質が進化してうんと増えたので、「先を予測するのが大好き」という結果となりました。他の動物ではこの先読み能力は、至って短いと言われていて、過去についても同様です。ゆえに、自分という個体の時間の有限性もしっかりはっきりわかっているのは、成熟したヒトだけ、と今のところは考えられています→いつか死ぬということが理解できる。
しかも、時間軸の目盛りが細分類化して考えられるかどうか?というのも、かなりな問題です。たとえ、1年先のことを考えられるとしても、目盛りが1年ごとである場合もあれば、四半期で分ける場合もあれば、1か月や1週間で分ける場合もあります。さらに、その段階からもう一段下げたところに、数週間・数日・朝昼晩・時間など、細分類できるかどうかで、またモノの観方は変わります。
時の流れだけはどんな人にも平等です。だからこそ、どのように過ごすか、使うか、で結果は大きく変わってきます。細分類化したものを見て、大きな流れを俯瞰して見られるかどうか?で、目の前のことを見たほうがいいのか、先のことを見たほうがいいのか、さらに過去のデータを入れ込めるのかどうか、とても高次的な考えにまで昇華できるかどうか、個体によって変わってくるのです。
しかも、ヒトは文字を得て、膨大な資料を累積してきました。それらの中には、ナマミの身体ではとても会えないような人々の考え、その人たちが生活してきた基盤・文化・宗教・政治・問題などが包括され、詰めに詰まっています。それらを使えるようになるかどうか?を考えると、このひとりの人生は、大いなる冒険です。
何を見なければいけないのか?は、自分が決めることではありますが、ひとつ大切なのは、「距離感」ですよね。
距離感:・対象物までどれくらいの距離かを正しく把握する感覚・他人に対して、心の差や距離があると思う気持ち。 「距離感」は物理的な距離を表す場合にも、精神的な距離を表す場合にも使う。
この物理的な距離感よりも、むしろ、心的距離感がいかに近く感じられるか?で、物事への対処は決まりますし、観方も劇的に変わります。
ゆえに、この2択、個人差がある、とか、その内容にもよる、としか答えようがないですね。(・・;)
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