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誰かのために何かをするということ

過干渉と過保護については、何度かコラムや心理で書いています。なので、重複してしまうかもしれませんが、私の基本的な態度は、「必要なポイントで、自力で考えて行動できるようになるためにであれば、惜しまず働きかける」なのですが、相手の学ぶ機会を奪い取るようなことはしたくないと、意固地なくらいにこだわっています。

それはおそらく、小さい頃からの私の望みでもあり、誰かに何かをやってもらってラクだったことよりも、自分がやらなかったことの悔しさのほうが、数倍・数十倍にもなることを知っていたからだと思うのです。繰り返す中で知った、ということなのかもしれません。

誰かに譲るべきこと、自分でやらずともいいこと、などの自分の領域ではないことについてしっかり考えるという判断は確かに大切なのですが、誰にとっても First:初めてのことはあり、一度くらいはやってみたほうがいいことがありますよね。

私がよくいただくネガティブな批判は、「強制的にRIZAP方式で見守ったり働きかけたりしてくれない」というもの。それはもう私の考えとは真逆のもので、「データ収集としての見守り」はしたいですが、本人の意志が反映されていないものであれば、やっているかやっていないのかを隠したいのであれば、やはりそれをこじ開けるようなことはしたくはないです。こじ開けたり、強制したり、を繰り返してできるようになるのでもいいのだ!という方もいらっしゃいますが、それをやってしまうと、すべてがそうなると思うんですよね・・・。英語だけが例外である、という方は、たぶんレッスンをしているあいだに気づくので、その場合にはそれなりの会話があります。

とはいえ、そのために心理レッスンをして、折れない心を作っていきたいかどうか?をいつも問うていたり、無理なく、暗記なく、学習効率を上げる方法を推進しているわけです。

それでも、やはりプッシュしてもらいたい!と望むことはありえるとは思います。けれども・・・、それは畢竟、何のためにもなっていないのと同義なのではないかと・・・。

ひとりで生まれてきて、ひとりで生きて、ひとりで死んでいく

その中で貴重な僥倖に出遭えることを楽しみに、自分が決めたやるべきことをやり続け、自分の能力や才能を開花させていく

というのが、人生の醍醐味だと信じているので、親や兄弟、社会や上司、先生や師匠などに強制されたり、迫られたりをずっと続けていくことに、何の意味があるのか?と思ってしまうのです。

みなさんのテイクは??

誰でも弱点スポットはあると思うのですが、どうしても克服してもらいたいのは、「自分で決めたことはやり遂げること」なので、小さい決意でもいいので、ひとつやってみる。そうすれば成功して楽しくなる。あるいは、失敗してもなぜ失敗したのか考えるクセをつけることができたあとでは、悔しくなって再トライすることも可能だと思うんですね。なので、やり遂げるまでやれるようになっていくと思うんです。

優先順位の中で、英語をマスターすることは低い方は多いです。本当に困っているわけではない状況では、低い優先順位では動きにくいことでしょう。が、この優先順位についても、心理レッスンでカバーしていくので、またもや考えていただきたいな、と思うことはつらつらあります。

受講していただいていないみなさまには、「なんのこっちゃ・・・」だとは思うんですが(笑)、生徒さんのためにきっちりと何かをしているのかどうか?というのは、仕事を続ける限り、ずっと課題です。

ご自分で試行錯誤をできるだけしてもらいたい。誰かに何かをやってもらったなどとは微塵も思わないくらい、やり遂げていただきたい、と願うのは、あまりに高邁すぎる理想なのでしょうか?

そのための道筋は、しっかり見て理解していただいていると思うのですが・・・。その後、実現するのにどんなに時間が掛かるか?は、限りなくご本人の意志によるものであってもらいたい、という気持ちは、やはり基本で、動かないはずなので、この態度はずっと続いていく予定です。

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