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誰も見ていなければやってしまうこと

多くのヒトがプライバシーの中で当然やっていることは抜かしましょう(笑)。鼻の孔の掃除とか、お尻を掻いてしまうとか、まぁ、そういうのはあります(笑)。

社会生活の中で、他者がそこに存在していてもおかしくないのに、見ていないからやってしまうこと、というのはけっこうあるのではないか?というのをちゃんと研究している学者はいて、それが何から生まれるのか?などもまとまっています。もちろん、これがSNSの利用に活かされているかどうかはまた別問題(笑)。

匿名性の影に隠れて、人々を誹謗中傷しまくったり、いやがらせやストーキングまがいなことをする人々がある一定数います。今これを書いている最中も、木村花さんのお母様が訴訟をしているところなのですが、あまりスッキリした判決は出ていません。 ロイター電 日経新聞電

道徳:社会全体における善悪の判断基準

倫理:特定の集団や職業における善悪の判断基準

これらは個々人にとってかなり差異が生まれるエリアなので、当然、他人が見ていなければいいや、とか、バレなければいいや、という範囲でやってしまっている人々は、かなりな割合でいると思うのです。

この「後習慣的水準・原理的水準」にある行動や思考(認知)が固定化するまでは、おそらく他者の目・監視がない限り、やってしまうことややらないで放置ということは多くなってしまいます。

誰かに即座に迷惑を掛けることではないだとか、自分がやった、あるいはサボったとはバレないという感じでしょうか?

ヒトの発達は、まず世界を眺めてさまざまなことを外から入れて、自分の中で咀嚼行為をすることから始まります。たくさんのものをありのままに受け容れ、平等に並べ立てていくと非常に混乱するので、まずは「好き嫌い」で分けていきますが、その後、もっと世の中のことが多くなってくると、「損得」へと発展します。その後、もっと複雑化したことが受け容れられて、数も深さも伴っていくと、「美意識」へと変化します。この美意識こそが、「後習慣的水準・原理的水準」となっていくわけです。

ここを磨いて、この規範で言動化するところを増やしていかない限り、「前慣習的水準・慣習的水準」で物事は処理し続けられていきます。誰も見ていなくても、たったひとりぼっちでも、誰に気づいてもらえなくても、という+思考が勝り、自分の決めたことからはブレなくなるわけですよね。

逆に、誰も見ていないからやっちゃう、ひとりきりだからバレない、誰も見てくれてないから徒労だからやらない、などという考えが出なくなってくるのが、自己規範に忠実であり、自分を裏切らない行為なわけです。

この前のBlog記事の「権力→権威に従ってしまう」ということからも、ここが磨かれると脱け出しやすくなります。誰かに保身を恃(たの)むことなく、自力で自分の身を守り、前に進んでいける自信が持て、どんどんそれで成功していけば、権威も必要はないし、権力も持たずとも、おまけとして自然にあとからついてくれば「単純にラッキーなだけ」と捉えられるようになるからです。

儒教では2500年も前から、旧約聖書も同じくらい、新約聖書やコーランなどなど、たくさんの書物に歴史上残っているこのモラルや道徳について、まだまだ人類は磨くことを求められています。本当に戦争が起きないなんて時代が来るんでしょうか?イヤ、ない感じがします(笑)。ヒトを見下したり、幇間のように振舞ったり、それが自分ひとりで選べるような社会生活は、本当に実現するんでしょうか?

SNSがどんどん広がる中、不安しかないですが、+にたくさん作用するよう祈るばかりです!

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