2007年3月にアップされた文章です。
本日は、書き貯めているため、日付は2月25日の夜。ニュースで、熊本の赤ちゃんポストの厚生労働省による容認方向を示しました。どうしても、反対意見についても肯定せねばならないのは理解できるにしろ、内容には問題点も残るし、何度もくどくど言うようですが、生命より尊いものはこの世には何ひとつない。いや、その生命たちを支えてくれる環境というものがありますが、それをぶち壊している傾向にある人々は、生命の大切さも「二の次」にしがちなのでしょう・・・。
ニュースはこれ。http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070223it14.htm
私がこれについてエッセイを書いたのは、11月25日。すでに3ヶ月経っているのですなぁ。遅い対応だ・・・。http://kikumiodrkanae.seesaa.net/article/28097054.html#more
そりゃぁ、当然、「慎重な態度」で会見に臨まなければ、この時期、支持率が下がっている首相も、辞任しろ!を叫ばれている厚生労働大臣も、どうしようもないことでしょう・・・。が、問題はコメントの内容です。
首相は;「子どもを産むからには親として責任を持って産むことが大切ではないか。匿名で子どもを置いていけるものを作るのがいいのかどうかというと、私は大変抵抗を感じる」
少子化を考える位置についている高市少子化担当相も; 赤ちゃんポストの設置が人工中絶や遺棄により失われる命を救うことにつながるとしながらも「無責任に子どもを捨ててしまうというようなことが促進される結果になっては元も子もない。議論を深める必要がある」
http://www.asahi.com/politics/update/0223/004.html
このふたつの矛盾した問題を、どのように解決していいのか、頭痛の種でしょう。しかし、一国の首相や、その問題を特化した部署の大臣が言うこととは、到底思えない。わかりづらいよ(笑)。一体、どっちなんだよ?賛成なのか、反対なのか?むろん、メディアの要約の仕方にも問題があることは引き算しましょう。それでも、やはり、落胆は隠せないでいます。あー、でも私の言い方も限りなく、受け手に反映させてはいるか・・・。なので、他人ばかりを責めてはいかんのだな。
まず、「法律に反していることではないので認可の方向」
次に、「次回、このような申請があったら取り扱い注意」
さらに、「この認可がもたらす長所と短所について考えましょう」
ってことだよね?
私はすでに考えているつもりで意見を述べていたのだが、街中でのインタビューなどを見ていると、ネットで検索できる範囲の意見を見ていると、反対のほうがずっと多い。日本は、どんどん保守的になっていくのだろうか?
わからないのは、このあと、似たような申請があったときの取り扱いを慎重にせねばならないということについて。どんな人物と団体が、どのような動機で、どのようなシステムで、どんなふうに運営していき、その報告義務について、ちゃんと掌握すればいいじゃないさ・・・。基本的には法律に反していないんでしょ?そのために働くことを、まるで懸念しているふうに聴こえる。予算を割くのがたいへんに後回し的問題のような態度に見える。
その横で、首相の『美しい国へ』は英語でも本として発売されるのだそうな。こんな場合は、私人としての収入になるのか、公人としての収入として処理するのか、寄付するのか、どんな用途にその先使われていくのか、とっても興味深い。http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070225i501.htm どうやら、忙しいスケジュールを縫ってでも書いてきたのは、国際社会に取り残されないためにもどうしても必要らしい。でも、赤ちゃんポストは、抵抗を感じるのね・・・。育ちのいいおぼっちゃまは、飢えや貧困や無学や無教養な家庭にたまたま生まれてしまった人たちのことは、それほど真剣に考えていないということが、さらに格差社会がただの旗揚げ合言葉になっていることを、肌で感じてしまうだろうに・・・。
高市早苗さんという人を、私はほぼ知らない。なので経歴だけでも、と思い読んでみる・・・。松下政経塾出身なのか。アメリカでリベラル色の強い人のそばでフェローシップをやっていたのか・・・。が、それが丸2年未満だったことは、経歴でも充分にわかるところ。どんな留学でもそうなのだけれども、2年という時間で、肌でわかってくることは、その後の3年・5年・7年・10年の区切りから振り返るととても少ないことになる。統合力というのか、私がしつこく『幸福度』に書いてきた「大きな図柄」というものを、自国で自分の視点や価値観からしか見られないところから、ようやっとに脱するのが、それくらいはかかるからです。いや、最初の2年は大切よ。その最初の態度で枝葉のように分かれる道の数も選択も変わるから。なので、それをフルに帰国してから使える手腕は、個人差になってくるのでしょう。HPを見ると、それなりにまじめな方のように見えます。今後、ちゃんと見ることにしまーす。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B8%82%E6%97%A9%E8%8B%97
どうしても懸念をコメントに付け加えねばならなかったとはいえ、それが義務だとはいえ、ちょっとオマヌケだなぁと思うのは、捨て子が増えたり、親の責任を問うてみたり、を問題点とすること。社会現象がどのようにして起きるのか、勉強しようよ・・・。政治家といえども、すべての人をカバーする基本的な幸せや、権利や自由のあと、自分なりの強化点・力を入れたい点を公約にするんじゃないのか?だったら、せめて、人の心はどう形成され動いていくのか、動機となるものの種類や強さや測り方くらいはわかっていただきたい。顧問くらいすぐに雇えるはずだろに・・・。林家三平夫人の海老名香葉子さんまで教育問題で引っ張ってこられるんだもの・・・(そもそもなんで彼女を招んだのかもわかんないんだけどね、私には・爆。もっと謎な人もいたのだけれども・・・)。
捨て子を助長するというよりは、むしろ、捨て子された子どもたちをどのように扱っていくか?という強化になると、ありがたく思えないのか・・・。今まで、孤児院の統括はどうしていたのか?届出の簡略さや、その追跡調査はどうしていたのか?などなどを、ほじくりだされるとまずいのか?などと、私はさらに穿った考え方すらしてしまうのです。少子化が深刻ならば、子どもを宝物に扱う態度を、政府からして賞賛しなければ、どうにもならんでしょ。今日も、浅田次郎の『ピエタ』という、6歳のときに捨てられた娘が、24年ぶりにイタリアに渡った母と再会するストーリーを読んだのだけれども、なんだかとても泣けた。どうして捨てなければならなかったのか、は、本当にいろいろな事情があることくらいは、わかってほしいと思うよ。捨てて当たり前!と生涯ずっと思えてしまう人など、事故的確率しかいないから大丈夫だってば・・・。人は積み重ねて生きているのだから、今、現時点で、知力や経済力や体力やその他、ない人に持てるエネルギーを持つ人が分けてあげたっていいじゃないか・・・。
街中のアンケートでは、半分以上の人たちが反対しており、私は悲しい気分で見ています。ネットでもたくさんあるある。「赤ちゃんポスト、賛成、反対」で検索すると13000以上でてきます。http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?poll_id=207&wv=1&typeFlag=1
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