逢魔が時:日が暮れて闇夜が訪れる時間帯を意味する語。「大禍時」と表記する場合もある。魑魅魍魎に出会う禍々しい時とされる。
魑魅魍魎とか禍々しいってすごいな(笑)。私の子どもの頃は、母が「もうごはんだよー!」と言うまで遊んでいたのですが、どうして小学校6年まであんなに外で遊べていたのか?を振り返ると、ものすごいエネルギーを入れ込んで、それを相当出していた、という客観性をよそに、あらゆる遊びをかなり念入りにたくさんやったんだろうと、なんだか微笑ましくなります。
この逢魔が時を過ぎて暗くなっても遊びたく、どうしてか、「もうおねーちゃんのごはんなんかないよー!」と言われるまで遊ぶような子どもだったので、幽霊騒ぎとか、妖怪とか、そんなものに逢えたらラッキー!くらいに思っておりました。結果としては、一度も見たことがないまま、この歳まで至っています (・・;)
なぜにそんなことが起きるのか未だによくわかってはいないのですが、「首吊り山」という名前の場所が、近所、そうですねぇ、歩いて10分くらいのところにありました。山なんて大仰な名前をつけたのは誰なんだ!?となじりたくなるほどの場所で、アスファルトの道路ができた結果、道が交差する三角地帯になっており、そこにはお地蔵さんがありました。たしかにこんもりした森風になってはいましたが、高低差はなく、山だったのか、昔???と首をかしげるほどの場所だったのです。
逢魔が時にそこを何度も通ったのですが、何も起きず・・・。
調布は、水木しげるロードなどが設けられた場所でもあり、先生は名誉市民。ご兄弟もご存命で、奥様もお嬢様もここで生活してらっしゃいます。私の通勤路(って、たったの4分なんだけど・・・家からスクールまで)は、布田天神通りというところで、そこには『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターが設置してあります。ただし、今はリモデリング中ですので、数ヶ月見られませんが、いつもはキャラクターたちが見つめている中を通勤します。
妖怪にも出遭ったことがない・・・。悲しい。
そして逢魔が時を検索していたら、こんな悲しいストーリーに出遭いました。心底、大切なヒトを大切にしよう、とまたもや決意しました。http://www.youkaiwiki.com/entry/2013/03/05/171736
日暮れになってから、よく野川に石投げの練習に行ったものです。水に反射する太陽の光と陰がとてもきれいで、それでも見えなくなるまで、平たい石を探して、何度も何度も投げ、跳ねる姿が見えなくなるまで、ずっと練習していた自分を思い出します。物悲しいという気持はあまりなく、「今日も一日をやりきった感」にいつも満たされていました。それは、US生活でも、戻ってきてからも同じで、そうですねぇ、100日に1回くらい物悲しいかな・・・、てな感じです。もしかするともっと少ないかもしれません。
さ、お風呂入って食べて寝なくっちゃ!という印みたいなもので、子どもの頃はそれのみ。
大人になってからは、寝るまでにどのくらい何ができるかな?でしたね。でも、寝ることがなぜか中心にあり、やりきった感に満たされていたい、という気持は今でも変わりません。
みなさんはいかがでしょうか?もう少しセンチメンタルになるべきなのか?と思ったりはしてます・・・。
コメントを投稿するにはログインしてください。