2006-03-29 にアップした文章です
親友とReno, Nevadaのカジノホテルまで行ってきました。20年ぶりくらいに真剣な徹夜をしてしまい、「へぇ、徹夜できたんだ・・・」と自分で自分にびっくりしました。20年前の徹夜は、渡米の留学費用を貯めるために、朝はビジネス朝食のためのウェイトレスを三井クラブや関東クラブなどでやって、その後、ナレーターコンパニオンの仕事などに晴海まで出かけ、夕方以降は、銀座で仲居をやっていた頃です。どうしても時間の都合がつかなくなり、1回だけ徹夜をしたことがあります。が、他の日は、2時間だろうが3時間だろうが、どうしても寝ていたし、私の場合は寝ないと脳みそが溶ける、とかたくなに信じていたのです。
が、できたのね・・・・。
金曜日は、80号線が山の中を通っているため、親友のレンタカーではなく、私のSUBARU Outback 4WDを出動させ、6時半にこちらを出たのですが、予想に反し、到着したのは10時半すぎ。いつもならば、3時間から4時間のあいだなのです。私の最短記録には2時間40分というのがあります。4時間ちょっとかかってしまいました。
それもそのはず・・・。途中10マイルくらい雪が降っていたのでした。が、12・1・2月とは違い、3月の雪には勢いもなく、執着度があっさりとしており、40mile/hour(65km/h)は出すことができました。雪が実際に降っているエリア(6000ft=1850mくらい)近辺以外でも、法定速度は守られており、やはり夏のドライブとはちょっと違う感じでした。
しかもね、私たちが選んだ週末は、なんとほぼ全米の大学が選んでいるSpring Break(春休み)でした。寒いところでは多少遅くなるのかもしれませんが、だいたい似たような時期になっており、イースター(復活祭)の準備も含め、1週間お休みになります。ということは、学生さんたちは9日間もお休みがあったのよ・・・。道理で混んでいるなぁ、と思ったフリーウェイでした。
さらに、家が増えているぅぅぅぅ。San Francisco Bay Area (以下ベイエリア)地域の中には仕事が多く、家の値段は高い。がゆえに、人々は裾野を広げ、どんどん外に出て家を購入している模様。新しい建売がバンバン見えて、その周りにはきちんとショッピングモールができていました。そのショッピングモールのアドバンテージは、そもそもまわりは農地ばかり、ということで、いくらでも大きく建設できるということ。規模がこの近所とはまったく違う。大きいのです。テキサスやオクラホマほどではないにしろ、カリフォルニアも日本に比べるととてつもなく大きい。フリーウェイの脇を見渡すと、家までが遠い地域がたくさんあります。牛のほうがヒトの人口の10倍あるようなのどかなところもたくさんまだあるのです。
親友は、九州は博多付近の小さい市で、高校生まで過ごしたあと、ハワイに分校がある大学に入学し、ハワイで2年過ごしました。18歳から2年ですから、そのときにそこそこ英語は話せるようになっており、その後、いくつかの仕事を経て、27・8歳のときに、もう一度大学に戻ることを決意し、州立の大学の中では全米一位のアカウンティングコースの大学院までを、奨学金までもらい出たあと、大きなファームに勤めるのですが、今は、諸処の事情があって、自分が故郷だと思えるハワイに戻り、1年間の半分働いて、1年間の半分はお絵かきをしたり、ビーチで寝っころがったりしながら、遊びつつ暮らしています>まぁ、それができるだけの人生をしっかり歩んできたのだけれどもね。親からの援助は、20歳から一切ないです。
あと何年それを続けるのかは、彼女もまだはっきり計画してはいません。が、彼女の仕事は監査士(CPA;Audit)なので、アメリカでは、時間給で300ドルほどもらえます。フリーランスでも250ドルくらいはもらえるのでしょう。コネクションがあれば、さらに再就職なども難しいことではなく、フリーランスのままでも特に生活に困ることは、この先もありません。大金持ちになりたかったらどうするのか?という疑問はありますが、彼女は家事が私よりも不得意なので、でかい家には住めないです。しかも、私よりもプライバシーを大切にする(と感じる)のでメイドさんなど雇えるわけもなく・・・。さらに、人間関係も深くふかく、という感じではなく、広く浅くのほうが彼女は心地よいのです。が、私だけが深くふかく入り込もうとするので、若い頃のようにいつもいつも長く遊ぶわけではありません。
そんな彼女と本当に久々に3・4時間ずつ話せる時間ができて、ドライブは最適でした。なぜなら、いつも遊んでいても、ごはんの時間が来ると私が飲んでしまい、いつしかコミュニケーションが雑になるからです(笑)。ドライブをしていると、車内では飲んではいけない法律があり、トランクにしか酒類を入れていてはいけないことになっており、その法律に慣れている私は、助手席に座って飲むなんてことは、カケラも誘惑されないように訓練されています(笑)。
夜のドライブでは、カリフォルニアについてのいろいろな話をしたり、バクチエピソードをお互いに話したり、これまでの会わなかった時間について話したり、と、たくさんのCatch-up(取り戻し)ができました。同い年なので、文化的歴史的背景もかなり似ており、田舎育ちだった彼女と東京でとてつもない貧乏暮らしだった彼女で、状況を説明して、微妙な違いについて話したり、日本に戻り少しだけ暮らしたりした時期について、自分たちのJapaneseness(日本人性;日本人であること)について話して盛り上がりました。日本の悪口もたくさんあるものの、「あー、やだやだ。悪口言ってもやっぱり自分たちが日本人ってことからは逃れられるわけがない」と笑いながら、時間は進んでいき、雪に遭遇したわけです。
彼女は、ハワイの前が日本の東京、その前がLong Beach(LAよりさらに南)だったので、しんしんとスキーができるほどの雪を見たのが久しぶりでした。私は路面が凍結していたので、ちょっと他人の運転を信頼できず、ひやっとする場面がありましたが、彼女はとても静かに歓んでいました。彼女は8歳の男の子や17歳の女の子のように振舞うこともできるのですが、彼女が静かに歓ぶときは、本当に心が洗われているときなのです。知り合った22歳のときからずっとそうで、2年半、狂ったように東京でいっしょに遊んでいたときも、彼女はたまにだけ、静かに歓ぶのでした。
ハワイと違うカリフォルニアとネバダの風景に、「カリフォルニアって感じがするお花だね」だとか、「ハワイにはコレないなぁ」などと言う彼女の素朴な着目点に、私は小娘のように歓んでいました。が、かたや、彼女が生活の中の何かに大きく欠落しているところを、醸し出している要因かもしれないところを見つけると、抱きしめたくなってしまうような気持ちにもなりました。私は傷つきやすかったのですが、いつからか、もう傷つかなくなったようです。キリがないから?(笑)いや、たぶん、もともとの耐性が違うのかもしれません。リラックスし、サンダルを脱いで、スナック菓子をボリボリ食べている彼女を見ていると、22歳に戻ったような気がしました。昔むかし、若い頃にまったくChildishなところがなかった彼女のChildlikeを見せてもらえることは、私の大きなヨロコビです。彼女はいつからか、子どもっぽい振る舞いをするようになりました。それは、私が想像していただけに過ぎませんが、「素になれる人」が周りにいるようになったのだと思っていました。今思うに、あれは「(その人の前で)素になれるかどうか実験していた」に過ぎなかったのです。
いつもいつも自立してきた彼女が、若い頃にはクールで世間を斜に見ていた彼女が、頼りなげに、子どもっぽく振る舞い始めたときに、私は何かのシグナルを嗅ぎ取るべきでした。が、彼女がひとりで闘うしかない領域に、私が何を言えましょう。そうして長い時間を掛けて、友情を繋げてきたことに、また感謝をしました。彼女のおおらかさや器のでかさ、逆に彼女の脆さやけなげさなど、すべてを愛しながら、長いこと続けてきたなぁ、と。
今回のカジノ旅行の始まりと〆であったドライブでの収穫のイチバンは、いつしか、私が彼女にとって「素で振舞える人間」にようやくなれたことに、やっと気づけたことです。長い時間をかけて、ようやくたどり着ける場所へ、私は20年ほど前からドライブしてきました。けれども、何かがあれば、また素で振舞ってもらえなくなるかもしれません。あるいは、この旅の続きができるかもしれません。あと1ヶ月で、彼女はまたハワイに戻ります。次にふたりで出かけるのはどこになるのでしょうか・・・。
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