Jan 8, 2006 に書いた文章です。
結婚相談所でも、Hitch(映画; Will Smith主演の恋の手ほどきについての)でもないのですが、これには法則があります。たくさんの人々が離婚をするようになりましたが、ほとんどの場合、彼らの落ち度はこの「長く続く」を見落としたことにあるのでしょう。愛情があるのに別れる、というのは悲しいことです。あれほどあった愛情が少なくなってしまう、というのも悲しいことです。
結論からズバッと行きます。『精神的・心理的釣り合いが取れているかどうか』です。経済的なものや、ステータス、学歴や知識などはあまり関係がありません。性的なものも同様です。PhDを取りたい分野の中に、Relationship Counseling(人間関係、特に結婚や恋人、友人、親子)があり、人間の心理の核になるものは何なのか?を徹底的に叩き込んであれば、その修復や今後の上手な方法は、ケースケースによっていくらでも生み出せます。後天的要素が強いものであればあるほど、修正は利くのです。が、大前提がひとつあります。
必要なのはこの価値観です;
人は変わっていけると信じていること。変わっていける部分と変わっていけない部分は何なのか?その理由は自分なりにはっきりしているか?
これの釣り合いが取れていれば、たいていの問題は解決していけます。それに必要なのは、精神的・心理的Toughness(タフさ、強さ)で、変わっていくことを辞さない、信じる力です。変わってはいけない部分はなぜ変わってはいけないのか、変わったほうがいい部分はどうして変わったほうがいいのか、事実をしっかり見ていく気力と体力があれば、その関係はサバイバルできます。二人のあいだで、この釣り合いに大きく隔たりがある場合、どんな問題が浮上しても、「相手のせいごっこ」になる確率がものすごく高いのです。相手のせいにするようになって、自分の非を認められない悪循環に陥ると、どんどん坂道を転がるようにコミュニケーションが破綻します。聞く耳を持てなくなり、ガラスの目ん玉を持つことになっていきます。事実を事実として受け止められず、自分が選択する都合のいい事実を拾っていくようになります。本質からどんどん逸れ始めて、最初はそもそも何から始まったのかもわからなくなってくることでしょう。
この変わっていけることを認めるのは、実はとてもつらいことです。既存のSelf-Esteem(自己尊敬心)を揺るがさねばならないことに直面します。簡単な一例で言うと、性的釣り合いです。これがダメな場合は離婚しかない、と結論に至るカップルは多いですが、実際は、そうではありません。性的欲求は変化(へんげ)していくものです。持って生まれた先天的なことで、障害が生まれるケースは、実際は全人口のわずか3%ほどしかありません。その3%に含まれるほど、たとえば、ペニスが小さいとか大きすぎるとかであっても、セックスはintercourse(性交)だけではありません。他にかけがえのない美徳があるがゆえに、恋人同士になったはずです。それをすべて捨ててもいいほどの障害ならば、仕方がないでしょう。が、事実は性的釣り合いではなく、性生活を楽しくさせるために行動ややり方や見方を変化するWillingness(進んでやる意思)があるかどうか、です。
実際に、ペニスが大きすぎても、女性の膣は筋肉なので、鍛えればある程度まで大丈夫です。小さすぎても同様です。金物や陶器のような特性でできていると誤解していると、決定的にダメだ、と思う要素になることでしょう。もしもこれが本当なら、出産後の女性は揃って性生活が皆無になってしまいます・・・。それよりも、ムードを出すためや楽しくなるための視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚を駆使したことを試したほうがいいのです。
長く続いた恋人同士でも夫婦でも同様で、いつも同じことを繰り返しているとマンネリになりますが、このWillingnessがありさせすれば、サバイバルは可能です。これに成功すれば、お互いのSelf-Esteemはさらに上がります。なぜなら、既存のSelf-Esteemには、「自分はいい方向にどんどん変わっていけること」も含まれており、そのために一時期、多少Self-Esteemが下がることは何でもないように思えるからです。ペニスが大きかろうが小さかろうが、長い倖せのために必要であれば、どうでもいいことだと思えるようになります。
恋は嵐のようなもので、キチガイ状態に陥り、まともに物事を考えられなくなります。私の見解では、恋の醍醐味というのは、「本能と理性のせめぎあい」にあり、自分の心の中のこのせめぎあいを征した恋が愛へと育っていき、愛をさらに育みながらいつでもキチガイ状態の恋にも戻っていけて、楽しみが数倍に増えていくのだと思っています。時間も手伝い、どんどんかけがえのない人になっていき、相手の人生は自分の人生の大きな一部となり、捨てることができなくなります。離婚できるうちは、まだまだこのプロセスの中途にいるからなのでしょう。
変わることができる、と信じていれば、貧乏だろうが、学歴がなかろうが、それを変えていくことはできます。そう信じないうちは、何も変わっていけないのです。誰に言われてもダメです。自分こそがそう信じて疑わないことです。そういうふたりが出遭って恋して愛を育めれば、長く続くことは間違いなしです。
惰性でいっしょにいた;経済的にひとりでは無理だったから我慢していっしょにいた;これ以上いい人は見つからないだろうと思って妥協したからいっしょにいた;子どもができちゃったからいっしょにいた;子どもたちのためを思って別れられないでいっしょにいた;世間の目が怖くていっしょにいた;義務だからいっしょにいた; etc, etc.
こんなんじゃ悲しすぎます。長くいっしょにいることができても、中身がこんなのではどうしようもない虚無感にいつも襲われる人生になってしまいます。
これは友だちや親子でも同じことです。親だからと絶対的権威を振りかざしていた親が、自分が大人になって小さく見えてきた人は多いのではないでしょうか?それは、変わっていくことを信じていた場合は、感謝や愛情の深さへと繋がりますが、変わっていけないと思い込んでいる人にとっては、長いあいだ貯めてきた恨みをますます増やす証拠のようなものになります(実際はこんなもの証拠ではないのですが・・・)。倖せになっていく友だちを心からうれしいと思えるのは、自分も倖せになるよう変われてきたからです。逆の場合は、相手か自分に大きな隔たりがあり、そもそも変化のパワーを信じなかったほうが悲しい想いを味わうことになります。
胸が震える恋を見つけたときには、まずお尻の形がかっこいい、額の生え際や手がセクシーなどでもいいのですが、ふと冷静になったときに、「この人は私と同じくらい変わっていくことを信じているかどうか」に注目してください。「俺は俺だよ」「私なんかダメ」などというのは赤信号です。大切な身体と心を全部さらけ出す相手ですから、どうかいっしょに、どんどんいい方向に変わっていってくださいね。
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