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閉塞感

07/23/2008にアップした文章です。

新聞を読んでいて、特に物事が明らかに見えてこないのがどうもイライラするんですが、とりあえず「わかった気」になっているよりはマシなのかなぁ、とも思いつつ、息苦しさは取れないところ。水泳は好きなんですけども、やっぱりあの息が足りない感じはとてもイヤなものです。アレがいいというヒトもいるんでしょうけども・・・。私は「恐怖症」は持っていないはずなのですが、もしどれがイチバン嫌いか?と言われれば、やはり「狭いところ」なのです。この閉塞感というのは、どうしても最もイヤなものです。とか言いつつも、ネコが狭いところに丸まって眠っているところを見ると、とても和むんですけどねぇ・・・。私じゃないからいいんだ(爆)。



心理学的には、私には子宮回帰願望はないらしい。狭苦しいところは、どうしてもイヤで、最近怯えていた(?)英語学校でのたくさんの人数でのたくさんの呼吸が、温度上昇にまで影響しているということを思うにつけ、狭いところでは見えない細菌もたくさん飛んでいるかもしれないとまで思えてしまい(だったら、気にしないためにも考えるな!とは思うんですけどね・・・汗)、どうも母のおなかの中に帰ってホッとする感というのはないらしい。

 

それが如実に顕れるのは、寝ている姿で、私は寒いとき以外は丸まっていないらしいです。ビデオで眠っている最中ずっと録画しているわけではないのでわかりませんが、見るとたいてい大の字になっているか、おとなしく横向きになっているようで。

 

産業カウンセラーでの実技練習のときも、私は他人よりも動作が多い。聞き手(カウンセラー役)をやるときには、意識してじっとしているのですが、話し手(クライアント役)をやるときには、身体全体も手も足もよく動くらしい。Non-Verbalなものを最大限に使ってやろう!という生命感に溢れているんですなぁ(笑)。

 

ということもあり、この縛り、狭さ、窮屈、にはどんなジャンルのどんな物事を通しても、どうしても耐久値が低い。朝の満員電車ラッシュのことを、今、瞬間思い出しただけで、手に汗が出てきてしまいました(笑)。どうしても、1日や3日だけ、というのであれば、耐えないわけではないですし、ゼッタイにできない!と不可能を訴えるわけではないですが、心的負担はでかい、というのに気づいているので、こうした仕事を選んでいるのでしょうし、自分の心的健全バロメータに対してビンカンなのではないかと思うのです。

 

狭いところはダメだ!押し込められるところはダメだ!縛り付けられるところはダメだ!

 

うん、書いてしまうと、なかなかすっきりする・・・。

 

夏の暑い温度自体そのものに関しては、「だって自然の摂理だもん、しょうがないよね」と諦めているのですが、あの口や肌に迫り来るような、目に見えないけれども、詰まったような分子の感覚が嫌い(笑)←あの、とできているのは、目下、エアコンを使っており、快適だからです。外に出て買い物依存症傾向を充たしている母は、今、少しあの湿気のあるドヨンとした空気にさらされているに違いなく・・・。冬は、衣服があるので、冷気を感じるのは露出部分だけなので、あまり感じない圧迫感、閉塞感なのですねぇ・・・。もちろん、分子としては冬の空気のほうがしっかり安定しているので、グルグル動いて支配されていない感も持てていいのです。あ、逆なのか?もしかすると、ずっしり安定した冷気に晒されているほうが、心地悪いと思ったほうが正常なのか?←もう少し考えてみないとわからん・・・(爆)。

 

産業カウンセラー講座は、みな、それほど毎週毎週2個も3個も悩んでいることなどあるわけもなく、たいてい、愚痴に近いような、頭では解決には時間が掛かり、ひょっとするとシステム問題なので、個人ができることは「心の持ちよう」だということがわかっているような問題を話題にすることが多く、聞いている方としても、切迫感はないのです。重い重い雰囲気の中、謎解きは謎をさらに呼び込み、というシチュエーションでもないので、たまに、「これで練習になるのか?」と思いつつ、自由であることには感謝しています。が、自由でもないんだよなぁ・・・。悩んでもいないのだけれども、話し続けなければならない、という閉塞感はある。自由に好きなことを話してしまえばいいや、と開き直るわけにはいかず、目的にある程度沿っていかねばならぬ!と使命感すら持ってしまうと、話す話題がない自分のオキラクさに、なんとなく責め苛まれるわけです。

 

なので、わざわざないはずの閉塞感を、自分で作り上げていることになり・・・。わかりますかねぇ、この悪循環が、他人に合わせようと思っている努力から出ちゃっていることを・・・。私は悩みなどないので、自由に好きに身体を動かしてジェスチャー三昧で、楽しそうに話せばいいわけですよ。でも、前提としては、カウンセリングの練習なのだから、相手のヒトの練習台としての使命を果たすために、悩んでもいないことにまず苛まれる。そして、相手になってもらったことに対して感謝の意を表するために、悩んでいる風に思い込もうとしてしまう。そして、何度も続けていると、なんとなく悩んでいるかもしれないと思い込んでしまう。

 

ものすごい閉塞感なわけですよ、コレ。

 

英語学校では、生徒さんたちとのレッスンは楽しい以外のナニモノでもなく、私は本当にいい仕事を見つけたなぁと思っているのです。この前、Readingの教材読み物を読んでいて、どうしてだか読んでいる最中に泣けてきてしまい、「ヤバイ!」と思ったので、ウェットティッシュ(日本はコレがすごいよなぁ。でも、どんなメーカーでもなぜか一袋10枚入りというのがすごいと思う・・・。アルコールが入っているやつが今のお気に入りで、おっさんのようにまず顔を拭いて、首筋を拭いて、胸元を拭いて、とやっているので、さぞかし、第三者には奇妙に見えることなのだろうなぁ・・・)で、顔を拭いてその場をごまかしたのである(笑)。こうして、自分が自分に縛りとして与えていることも、たまには閉塞感を助長するようなこともあり、「ひとりの時しか泣かない」というのは、情緒のアンテナが無造作に出ているときにはヤバイのであった。

 

そして、日々ネットでいろいろな記事を見たり、母が見ているTVをいっしょに見ていたりすると、情報らしい情報を流しているように見えても、実際は本質に届くわけもないことに関しても、大いなる欲求不満があり、その先が塞がれている感というのは、どうしても感じてしまうので、疲れてしまうのでした。時間があるときは、ネットでさらに検索をして、納得が行くまで調べられるのだけれども、多忙で、時間が押していて、そのまま放置したことが重なったりすることがたびたびになると、自分でも「あ、暗いところに閉じ込められているようだわ・・・」と思えてしまってイヤなのです。

 

もっと基本に戻ると、私はマフラーもマスクも手袋も嫌いで、運動をしているときには時計すらつけるのが嫌いだ。着るものは少なければ少ないほどよく(ほどよくちゃんと覆っていなければならないけどさ・・・)、持ち物が多いのも嫌いです。なので、いつも矛盾を感じるのが、他人よりタバコとライターを持って歩かねばならないという縛りで、コレさえなくなれば、またもや身軽になれるんじゃないかと思いつつ、イライラしたときに気づかず火をつけている自分を発見したときに、まだまだ程遠いよなぁ・・・とため息。

 

自分の心的バロメータ、持っていますか?私の第二位は何なのか、今日はちと考えて、第一の閉塞感について、忘れてみたいと思います(爆)。