1999年に書いた文章です。
開き直る:急に態度を改めて、正面切ったきつい態度になる。のがれられぬと覚悟して、ふてぶてしい態度になる。
私はこれに関して年季が入っています。なので、ともすれば今でも簡単にこの癖はよみがえり、私を陳腐なやつにすぐに堕落させてしまいます。その最たるものが、「もういい。出て行けばいいんでしょ」という家出騒動で、私が温泉用に使っているスポーツバッグを引っ越しのときに、「もう家出には使わないでね」と頼まれてしまいました(爆)。
確かに…。西さんが居なくなればこの家は留学生のOくんとネコたちだけになり、ふたり家主の残りの私が居なくなったら、Oくんはたいへん困ることでしょう(爆)。Oくんが来て1年(彼の渡米生活そのものは1年と7ヶ月)、彼は3回ほど私の家出事件を目撃しているので、心配になるでしょ>まぁ、冗談なんだけどね(爆)。
私は感情に支配されているヤマザルですが、それがあだになり欠点になる場面があり、相手もいることを知っているので、理論を身につける努力もしてきました。詭弁だと罵られることもありますが、詭弁だと罵る人に限ってすぐ話し合いを下りてしまうことが統計的に多いことも体感しています←いつかちゃんと数字にすると効果的なのか?それともただの嫌味ばばぁなのか?(爆)
この話し合いから下りる、という行為が「開き直る」の最たることだろうな、と私は思うのですね。我が家では「どうあっても沈黙を通す」だとか、「悪態をつく」だとか、「しまったと思うとネコのようにグルーミング(毛繕い)する」というようなこともかなり流行っています。その回数がなるべく少ないように、コミュニケーションを放棄しまくらないように、とがんばっている私が、どうしてもどうしてもどうしても納得がいかないことが多くなると家出騒動になってしまうわけですよ(爆)。あるいは大ケンカね…>この前の土曜日にも温泉の帰り道の車のなかでやったんだけどさ…(汗)。
たぶん、人間が感じることは類型できたり、体系的に分類ができたとしても、本当にさまざまであると思います。それをあまりに簡単に「いい・悪い・どっちでもない」にしたり、「普通・異常」にしたり、「好き・嫌い・どっちとも言えない」にしたりすることにまず無理がある、という同意がないと、コミュニケーションが取れているように見えても、本当のところは取れていませんね?感情の扱い方がまず問題です。
自分の守備範囲が狭ければ狭いほど、おつきあいする相手も似たような価値観やら考えやらが多い確率が高いほうがラクではあります。みんなして双子みたいだったら強い刺激に対する反応もいっしょだし、哀しいことも予知できるってもんです。守備範囲が広ければ、おつきあいする相手にバラエティがあっても、違うことにもさほどびっくりもせずに「お、これこれ」と引き出しを開けて対応ができます。なので、私は「違うものを知ろう♪」推奨委員をやっているわけです。守備範囲が自分のアタマのハエも追えないほど大きくなるといけませんが、少しずつ自分のモノとして広げていくのはかなり楽しいことです。
10人居て9人はカニが大好きであるとわかり、あとのひとりは食べられない、ということを知ります。けっこう残念なので、そのとき、その人がどのくらいカニがだめなのか、リサーチしてみます。ここで「じゃぁ、いいよ。ふん、カニ中止!」は開き直りですからね。べつに全員がカニを好きじゃなくたっていいわけです。好きでもいいですしね。「カニなんか見たくないほど嫌い」だったらばやはりそこで中止にして、他のおいしい食べ物をいっしょに囲むことにしたほうが懸命です。それがただのわがままではなくて、カニを見て吐かれてしまった日には困りもんです…(汗)。けれども、そのひとりが心から「目的としているお店にカニ以外のものが置いてあればいい」だとか、「二軒目は選ばせてね」だとか、「次回は選ばせてね」「私はカニの代金払わないよぉ。おごって」などなどと言えるのだったら、続行しても罪悪感を9人が持つ必要もないと思うのですね。そしてそのひとりにゆとりさえ感じていただいて、もう一回カニに挑戦していただくとか、カニが嫌いな人の気持ちを実況してもらうとか、いいではないですか。
「ええええ、そんなこと言えないから我慢しよう」「フツーは多数決だよな」というのはなぜでしょ?あるいは、「カニだったら言えるけど、会社の飲み会だったら言えない」とか、「友達だったら言えるけど同僚や上司だと言えない」だとかね。私はそういうのが面倒なので誰にでも、強弱やメリハリはあるものの、同じ言動や態度で望むことにしています。顔をたくさん持つのはたいへんだよ←私がアタマ悪すぎるのか?(爆)
よく「そこまで言っちゃったの?」とたしなめられたりしますが、陰口言ったりすることになるよりはねぇ。本人にも他人にも同じようになるべく言えたらと思います。エッセンスは同じで時と場合を選んで、多少のぶれがあるにしても、きつくてもなよなよでも私の意見は言わないと、と思います。本気でおつきあいしてくれて見てくれている人にはわかってもらえるので、本気になれない時期にたまたま遭遇してしまった私の間が悪かったのである、とあきらめたことも何度かあります。でも、切らなければまた本気になってもらえる時期も巡ってくるので、「もういいわよっ!と開き直らない」というのが私の基本姿勢です。
でも間違ったときには随時謝ります。あるいは、考えや気持ちが変わったときにも関係者にはなるべく忘れないように言おうと思っています>漏れがあってよく謝っているし、本気じゃないなと判断した場合は端折ります。
留学生Oくんの受け答えが最近たいへんおかしいので近頃私が開き直ってしまいたいくらいだったのですね。「西さんと大ケンカしていることはあなたにも当てはまることがたくさんある。」と説明したり、「それは違うと思うけど、あなたはどう思う?」とか、あの手この手でやっていたのですが、今日は「ねね、この会話を英語にしてみてよ」と頼んでしまいました。Why?(なぜ)と聞いたのに、Becauseで返ってこない会話…。When?(いつ)と聞いたのに、色が返ってきたり明後日の方向に話しが飛んでいる…。「もしも新手の連想ゲームで、ルールがあるなら私に教えて♪」と真剣に頼んだところ、「あははははは」と自分の会話をアタマのなかで英語にしたのでしょうか?ひとりで笑っていました…。
西さんには、「あなたってば私をいぢめるために生まれてきたの?」とまで言ってしまったのですが…。それくらいちんぷんかんぷんなことを答えてくれるので、「テープレコーダーで録音しようか?」とも…。最後には「離婚すればいいってこと?」と開き直ったので、「そうじゃないでしょ。いつもそうやって開き直って現実逃避するでしょ?もしもスピードが遅いっていうのなら、発展途上中に誠意を見せてよ。説明もしてくれないで、腕を組んで黙るのはやめてよ」などなどと、リクエスト三昧…。
↑しかし、別居を目前に控えてこんなにいやな想い出を脳裡に染み込ませていいのか?>私(爆)。日本人でないアジア人の女の子たちはかなり優しい確率が高いのだぞ。私にない取り柄をたくさん持っているというではないか。私に取り柄はあるんだったか?(爆)
そしてその夜、西さんは熱を出し、彼がアスピリンを飲んで苦しそうに寝てから私は大反省をしてしまいました…。うーん、言い過ぎたぁぁぁぁ!と(爆)。けれども朝起きたら、「あ、治った♪だいじょうぶ☆」とケロッとしている西さんは、「昨日の話はわかったから。私は今日からまたがんばるよ♪開き直らないようにする」とやたら明るかったのでした。うーん、よかった…(汗)。
開き直ると損するのは自分だよね。だから私もケンカしても開き直らないでしつこく質問したり、相手に責められた、しまった、と思っても、謝ったり説明したりします。言い訳と説明の境界線を揺れながら、結果だけを重視しないで、どうしてそうなったのか?を大切にしつつ、短絡的に開き直らないようにお互いが自分の損を招かないように、と今日もコミュニケーションは続くのであります♪
でも気に入らない缶詰だったときのうどちゃんの態度は、おそろしくふてぶてしく開き直っている姿ほどさらにかわいかったりします(爆)。
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