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陰口の正体

昨日と今日は偶然に3人の人から、陰で悪口を言われるという事件を聞きかじってしまいました。うーん、世の中とはかくも理不尽なものである…(汗)。聞きかじるというよりは、自分のことのように激怒したり、冷静に全体図を見て状況を飲み込もうとしたり、何が言えるかと考えつつ、アタマと心をバチバチと神経に電気が通るのが自分でわかるくらいでした。

まぁ、私もかなり悪口言われやすいです。自分に落ち度があれば簡単にその場で謝ります。なくてもなぜ言われるのか考えてみて、自分で考えた3つのカテゴリーに分けてみます。

 

  • 私自身のセオリーがかなり曲がっている場合

    こういうときは素直にばりっと謝ります。あれ?矛盾してるじゃん?と思ったら、その矛盾が生じる理由もきっちり説明しようと思います。けれども、それを許してくれない人は多いですな。「ごめんなさい」だけではなく、「ああ、それってね」と始めた日にゃぁ、「どうして黙ってられないの?」と言われてしまいますね。それもバランスだと思うんだなぁ。言い訳と説明は大きく違います。その説明をさせてくれない場合というのはかなり多くなってしまいます。それを言い訳と解釈される状況もかなり多いです。タイミングって問題もありますが、忘却の彼方になってあとから言うのはどういうもんだろうか?と思ってしまうので、いつもミスります>私(爆)。潔くない、という解釈になるのでしょう。

    私にも『男は黙ってサッポロビール』的態度は取れますが、言いたいことは言いたいですよ(汗)。貯めておいてから言ったほうが効果的な場合と、その場で言ったほうが効果的な場合とは確かにあります。けれども、貯めておくことが効果的な場合の確率はたいへん少ないです。人間の記憶はあいまいなもので、余計にこじれてしまうでしょう。PCのファイルのように一字一句まちがいない再現ができる人にはお目にかかったことがないし、私も自信はまったくありません。

    文句があったらその場できっちり率直に言ってもらうほうが私はラクであるし、相手もたぶんラクだと思うんだが、どうしてか「我慢が足りないのは罪悪では?」となってしまうのはどうしてなんだ?少なくとも数年間の人生のなかで、自分がある程度見つけ出した方法で人付き合いやお話をしているはずです。なので、よっぽどの失敗の裏にも何か理由があるはずです。それは言い訳の場合もありますが、説明の場合のほうが多いんじゃないでしょうか?私は言い訳だと思ったらそれは黙って聞きません。「それは言い訳でしょ?」ときっちり言わせてもらいます。「ああ、説明してくれてありがとう。わかってよかった」と思えることのほうが今までずっと多かったです。サイキックじゃないんだから、自分の価値基準に他人を当てはめて悪口なんか言いたくないし、悪い評価なんかしたくないですよ。私もされたらいやだしね。だから必ず聞く耳は持つことにしています。その場で時間がなかったら必ず、お互いが忘れないように、「この続きはやろうね」と宿題にします。

    2. いわゆる非常識なことを私がやってのけたり、言ってのけたりしている場合

    これで悪口を言われた日にはたまりませんな。「ねね、常識って一体なに?」と尋き返してしまいます>いちいち。で、余計怒らせているのか?(爆)。しかし、「そんなのあったりまえでしょ」だとか、「そんなの常識じゃん」という台詞を聞くことはやたらと多い。うんざりしますね。それはあなたが属している小社会での常識なんでしょ?世界っていうのはものすごく広いの、わかるかな?って感じです。

    たとえばね、私は化学・物理がたいへん苦手です。数学は少し心が寛くなってきたのでやる気はあります♪←これだって31歳で復活したんだよぉ。それまで興味がもてなくて、好きになれなくて、自分のそういうところがいやだったよ…。化学や物理だって今は数学の基礎を押さえることができたのでやる気ありありです。で、この前の東海村の事件で物理の本だって読んじゃおう♪という気持ちになれていて、さらに高村薫の『神の火』というのでなかなかおもしろい情報や知識のひとつの解釈を学んでいます>ベッドサイドに今あるのだ♪

    物理学者やそのまわりで実際に働いている人の思惑や常識や規範というものに触れ、それを私の価値基準に新たに加えていく作業はとっても楽しい☆もちろん自分がおかしいと思ったものは棄てていくし、いいところ取りをします。そこにいるあなたにとって、「核を扱う」というのがどういうことなのか、その仕事に従事している人に対する認識はどういうもんなのか、っていうビジョンはありますか?私はまだまだしっかりしたものがないので批判しませんです。一般人や素人知識で言えることでもないし、本の2・3冊を読んで正解なんか探せるわけがないし、大体正解なんかないわけです。

    そしてさらに「あなたは経験したことがないからわからないでしょ?」と話を発展させていかれる場合も多々あり、その経験というものが既にたいへんに個人的なものであるということがわかってない相手を説得するのは困難です。駐在員の妻だっていろんなバックグラウンドがあるんだよぉ。決定的に普遍的に共通項があるものってただ駐在員の妻だってことから派生する、現地で仕事はできないとか、外国人であるってこととか、女性である、入籍しているってことだけじゃないか?ただ便宜上、ひとくくりにしているだけであり、やっぱりケーススタディしないと詳細なんかわからないことです。妻や母親やサラリーマンや日本人なんて大きなくくりすぎてさぁ…。

    「駐在員の妻のくせにさぁ、非常識よねぇ」ってあなた…。何が常識で、どうして私が駐在員の妻のマニュアルももらってないのにその通りに行動しないといけないんだか…。そんなマニュアルあるならください♪>あ、でももう駐在員の妻から解放されるので要らないのか?>でも参考になるから欲しいかも。

    ひとりの人間にたくさんの社会的役割があり、それを詳細に検証できないのならば、常識などという言葉で個人をからめとることほど馬鹿らしいことはありません。その本人が本人であり、その規範を基礎にして言動していることを、小社会のなかでの常識にからめとるってかなり非生産的な行為です。日本の文化やアジア文化や宗教にからめとるのだって同じだよ…。世界は本当に広いのです。1960年代のロシアとアメリカには「2000年になったらみんなで月旅行できる♪」という計画までされてたくらいなのですから、火星人や木星人なんかと、そういう狭い考えでは到底なかよくはできませんな…。

    3. 他人を不愉快にした場合

    これもねぇ、その人が不愉快だからってどうして私が全面的に悪いのかはわかりませんね。おつきあいというのはイーブンで平等であって然りなはずです。相手が不愉快ならば、私のほうも不愉快を多少でも感じている、とは思わないのでしょうか?それがちょっと不思議…。ひどい人というラベル貼りを相手だけにつけるのは、その場での自分がたいへんラクです。生涯振り向くことがないのならばきっと生涯ラクでしょうけど…。不愉快なことを言えない自分も悪いし、言っても改善されなかったら自分の言い方ややり方も悪いわけです。よっしゃ!と思って貯めて不愉快をぶちまけるのは、私はそういう意味でも効果的ではないと思うのですね。相手がわかることが大切なわけですから、わかるようにすることが目的であり、悪口を言うのが目的ではないでしょう。ましてや陰口だなんてどうしてなのか?

    悪口を言ってあげて、ショック療法を施してあげてるんでしょうか?すごいボランティアなのか?そんなのって底意地が悪いと思いますが?しかも本人ではなく、他人に悪口を流すというのはなぜなんでしょうか?自分も本人に嫌みを言い、他人にも言う、という二本立てをやるという作戦もありますが…。

    それが悪口ではなく、真摯な話し合いであえることの一端であることを相手にわかってもらうには、相手に率直に不満を述べることです。そう心がけている私はやはり私にも同じ誠意を見せてほしいです。そのほうが、複雑なことが多い世の中で、余計な複雑さを持ち込まないためにいいじゃないですかぁ。

    たぶんそれができない人は、自分の感性や理論に自信がないので、第三者に悪口を陰で言うわけです。同意を得たいからでしょう。味方になってもらって、多数決で解決しようというわりと安易な方法だからです。その時点で平等は崩れ、どちらがより力を持っているか、のパワーゲームになり、ずれは複雑になっていきます。登場人物が多ければ多いほど、物事は複雑になります。

    本人に直接言えない場合は、ねたみ、という動機がかなり多いのを体感しています。職場で仕事がよりできるだとか、その小社会に自分は多少なりとも不本意ながら我慢してそれでもがんばっているのにあの人は奔放であるとか、単純にきれいだとか収入が多いとか遊んでるとか若いとかモテるとか学歴があるとかくだらない理由の場合もあることでしょう。比較のパワーゲームは疲れます。そんなもん、持ち込んでおつきあいしていて楽しいの?と思います。

    自分の感性や規範を世間の常識だと大上段に振りかざして、他人の悪口を言うのはあまり美しい行為ではないです。その個人の主張や意見や態度に矛盾があるかないか、というのが有効であるかと思います。その矛盾はどこから生まれてどうしてそういう失敗になってしまったのか考えたほうが、建設的であると思います。

    でも、世の中には「許せない」というしこりをたくさん胸に抱いてそのまま生きている最中の人がたくさんいます。それは他人が肩代わりしてあげられることではなく、自分でしか闘えない領域にあるうちのひとつです。自分の価値基準に他人をあてはめることを習慣にしてしまえば、かなり多くの人や行為を許せない確率は高いです。

    私は何人かの人に縁を切られたことがあるのですが、別段、縁を切った人を恨む気持ちはまったくありません。あなたはあなたの人生を♪というような皮肉っぽいあきらめや勝ち誇ったような態度ではなく、私は自分のキャパを広げていくのに手いっぱいで、他人を恨んだり、悪く思ったりする時間がないです。そりゃ、事実としてそれを受け止めるのは苦いことです。けれどもそれをその人を限定して恨みに思ったり考えたりするのではなく、人間誰しも持つ行為に顕れる一部の側面であると思っています。だから嫌うとか恨むとか悪口言うとかねぇ。そんな暇があったら、ダンボール一個でもやっつける…(爆)。ネガティブな気持ちを抱き続けるのはたいへんなエナジーを要します。私はその分を、ポジティブに変換していくことを考えて、やれることを丹念にやり、同じ失敗を繰り返さないようにしていきたいと願うだけです♪

    ものすごい理不尽な陰口に悩まされたみなさま、だいじょうぶ、だいじょうぶ。たくさん反省もして、たくさん疲れて落ち込んだのもまったく無駄ではありません。これもまたひとつの「試されるとき」です。どうやって乗り超えたか、が大切です。華麗で軽いステップをまた明日から踏んでね♪☆

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