英語をある程度聴けて、文法の基礎がないと、「単なる口数が多いヒト」であっても、英語ができる人!という脅威感が生まれてしまうようです。これは、私自身も1988年4月から1ヶ月ほど苛まれたのではありますが、率直にその当時の先生だった Maryに訊いてみたら:
「あー、彼らはやたらと口数が多いだけ。文法はぐちゃぐちゃだし、単語にも母国語が混じるし。でも通じないってことじゃなくて、想像はできる感じかな」ということでした。イタリア人・ブラジル人・フランス人などなど、インド・ヨーロッパ語族に属する族派を母国語に持つ人々は、やたらと口数が多い(笑)。なので、口数が少ない民族にとってはとてもとてもびっくりするわけです。
さらに、性格的に内向的だったり、無口気味だったりする日本人は、さらに悲しくなるわけです。私自身、ずっと黙っていられるタイプなので、最初のうちはよく話すなーと日本人の女性にもびっくりすることがあったわけですから、さらにびっくりなわけです(笑)。
少なくともESLに来ている外国人や、日本で英語を学ばねばならぬ人々の英語は、脅威に感じる必要はまったくない!:母国語および性格の問題である、とみなしてください
ここで心が折れてしまうと、せっかくの機会にも前向きになれず、そのまま時間が経過していきます。
悲しいかもしれませんが、現実視しましょう。英語は徐々にできるようになるものです。子どもが歩けるようになるような緩やかなスピードでの進歩が必要です。ただ、それを想像すると、1年前後でなんとかなるわけですよっ!すごくないですか?ただし、これまでの日本における英語教育法ではあまり効率はよろしくありません。
英語ができるようになったなーと感じられる場面をいくつかピックアップします;
- Readingが苦ではなくなってきた
- カタカナを見てイラッとするようになってきた→ もっとすごいと英語でスペルアウトするようになる
- 外来語を聴いて、「あー、それ微妙に違うんだよね、英語とは」などと感じるようになる
- 字幕をいつのまにか読まなくなっている箇所がある
- 夢に英語が登場するようになる:最短で2ヶ月半くらいで見た!という報告アリです
- 知らない単語に動じなくなってくる
- 訳さなくなってくる
- むしろこの分野は英語のほうが情報として質が上だよな、という差別化をするようになる
- 相槌の種類が増えてくる:日本語よりも英語のほうが相槌の数が多いため
- 数に敏感になってくる
- 友だちに会うときにとりあえず「元気?」「週末は楽しかった?」「お母様元気?」などとあいさつが念入りになってくる
- ひとりの時間がやたらとうれしく思える:英語は発話量が多いのでこの影響が出ます
どうでしょうか?これらを「うわー!徐々にできるようになってきている」という実感に繋げてみてくだされ♪
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