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「どうせ言ってもわかってもらえない」という切ない気持ち

Self-disclosureという概念があり、自分の考えや感じ方について、意識的、あるいは無意識に、言葉として表現できるかどうか?表現する傾向にあるかどうかを高低で表します。

相手が受け容れてくれなかったり、理解してもらえなかったりすると、この自己表象→自己開示がどんどん目減りしていきます。これは、幼い頃からの他者(others: 心理学では自己self 以外はすべて他者とカウントし、近しい人々を significant others とする)とのコミュニケーションの連続の中、上がったり、下がったり、維持したりなど、変動していくのですが、大人になると傾向として、「このタイプのヒトには言える」「この場所では言える」「この話題であれば言える」などと、だんだん定着していきます。

幼い頃に、拒絶・否定・無理解・決めつけ・悪い意味での驚き・恥などなど、を相手から示されると、どんどんと自己開示は減っていきます。切ないし、悲しい。けれども、廻りの人々は、知ってか知らずか、こうした厳しい言葉の連続をどんどん投げつけていくこともあるわけです。その動機は何か?多くの場合、大人は「時間がないから」「今はこっちを優先しないといけないから」「躾だから」「この子のために」などなど、理由があるかのように弁明することでしょう。それは実際に目の前にいる子どもたちを傷つけていると認めることがあったとしても、仕方がなかった、自分もまだまだ子どもだった、などと、やっぱり言い訳もあると思うのです。

だとしたら、社会全体が、大人が生きやすいようにしないと、子どもたちはますます生きにくくなる。けれども、大人の中でも本当の意味での「生きやすさ」「成長」「発達」を、真剣に考えて、しかも行動化できる人の割合や、至って少な目になってしまっています。

私も4-50年前は、毎日のように「どうせ言ってもわかってもらえない。だから言わない」とひとりで思いつつも、なぜか行動化はしてしまっていた、おおらかな子どもではありました。胸がつぶれるほど傷ついたことも、あそこここではあったのですが、行動化して成功したり、楽しみに浸ることで、傷が癒えたり、自分のほうがより自分にとって正しいと思えるようになったり、バカで心無い人々の言うことなど断じて聴くものか!と意地になったり(笑)、本当につらかったことを味わったところに留まることなく、とにかく前に進んできた感があります。

ところが、この世にはそれができないまま、そこで停まってしまったり、時折、穴の中に嵌ってしまったり、忘れたフリをして凌いだり、傷を見つめて涙したり、という人たちがたくさんいるんです。大人になっても癒えないものもあり、向き合うことも怖く、誰かに理解してもらうために何かをこちらから言い出せない・・・。そのために、何をすればいいかもわからない・・・。

せめて、そういう人たちがいる、存在することだけは認知する。自分が追い打ちを掛ける側にだけはいないようにする。少しだけでもいいから、傷が言える方向の手助けができるようにする。

そして、子どもたちをそういう目に遭わせないようにする。

「何でも言ってね」が、裏表のない言葉として、他者に伝わりますように(^^♪

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