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うまくは言えないけれど

2008/10/17にアップした文章です。



考えていることをなぜかうまく表現できない。これはよくあることです。英語だから、じゃないですよ(笑)。日本語について考えても、きっと考えを言葉にする、というプロセスが「面倒くさい」ということは、かなり多いのではないか?と思うのです。それはそれでまったく是非を問うことでもなく、ナニがバロメータになっているのか、考えてみることのほうがきっとキラクに暮らしていけます。が、問題は、言葉にするときについて、「どうしてその考えを言葉にしたほうがいいのか?」を考えずに、行き過ぎてしまうことは多いのだろうとも思っています。なぜか、男性は無口で寡黙なほうが、かっこいいという風潮もあります。「男は黙ってサッポロビール」だったり、みんなで身勝手に高倉健さんは無口だと思い込んだり・・・←相当おしゃべりらしい(笑

 

西さんもかなり寡黙です。放置しておけば、何も話さずに12時間くらいは猶に過ぎていきます(笑)。私も特に話す必要がなければ話さないやつなので、家の中はネコの鳴き声だったり、映画の台詞だったり、メールが来た音だったり、と、それほど騒がしい家内ではないのです。が、母と暮らすようになって違ってきたのは、彼女は、自分でナニかに打ち込んでいるときには、居るのか居ないのかわからないほどに静かなのですが(洋裁だとか片付け物だとか料理など)、特に集中力が必要とされない作業をしているときには、独り言なのか、私に話しているのか、まったく判別がつかないことを話し続けています(笑)。それは、生徒さんがいらしていても同じなので、「第3者がいても話しているのだから、伝えたいことなのだろう」と推測して、会話してみると、そうでもなかったりするので、かなり肩透かしなことが多いのです(笑)。

 

私は「口数が多い人間」とみなされることにはまったく異議はないのですが、それは他の人といっしょに居るときだけで、ひとりだったり、少人数だったり、必要がないときにはかなり静かです。では、なぜ、話してしまうのか?とむしろ考えるのですね。ここが、私が「おしゃべり」と「無口」のボーダーラインだろうと考えるのです。

 

私は、おしゃべり寄りなので、「なぜ話してしまうのか?」を考える。が、西さんは無口寄りなので「なぜ話さなければならないのか?」を考える。ここもまた二元論なのですねぇ。

 

私は話し始めると、機関銃のように話せますし、話したほうがいいことは100%自分の中にあったとしたら、なるべく100%に近いように話したいと願います。なぜならば、「理解されるための努力」というのは、私の中では「せねばならぬ誠意」だと考える、かなり基本的にはいいやつだからなのでしょうね(笑)。逆に西さんのほうが、私よりはずっと面倒くさがりかもしれず、冷たいやつなのかもしれず、かといって中途半端にいいやつでもあり、質問をされれば誠意いっぱいに応えるのですが、「なぜ話さなければならないのか?」と、場面やメンツなどを考えることすら難しく感じてしまい、放棄しちゃうパターンは多いと思われる・・・。

 

私は、つい最近も、「情報量が多すぎて混乱する生徒さんが多い」とご指摘を受けたのですが、確かに、ゲンダイでは、インターネットがこれほど発達して、情報量が多く、情報処理能力が足りなかったり、偏った世界観を持っていることで間違った情報処理をしたりする場面には、かなり多く遭遇します。なので、私の態度というのは、かなり迷惑を生み出しているのかもしれない・・・と思わずもなく・・・。ただ、それらの情報が、「聞き手に引っ掛るかどうか」というのは、個人差なのですね。一般的な平均値は統計として取れたとしても、ナニがどのくらいの強さで引っ掛るか?というのは個人差なのです。プライベートレッスンでは、その成果というのはその場でわかる部分が大きいのですが、グループで教えているとそれはなかなか把握しきれない。ザルの目が粗い生徒さんもいれば、ものすごく細かいザルの目を持っている生徒さんもいて、「情報量が多くて困る」という指摘は、それほど多発するようなことではないと、私個人は解釈しているのです。

 

かたや、コレが基本!という情報というのは、「またか・・・」ということがかなり多く、それがどんなふうに発展していくか?というのがキーポイントだと思うのですね。

 

たとえば、「時間を大切にしましょう」というのは、誰でも言える・・・。が、どうして大切にしなければならないのか、相手に響くようにうまく言えないことはかなり多い。きっと、今日、日本だけで行われた「時間を大切にしましょう談話」の中でも、ザルの目を通り過ぎてしまい、受け手の心にずしんと響かなかったものは、かなり多いと思うのです。

 

西さんはそういった意味で、かなりケチなのでしょう。自分の経験則をすべて出してから、整理整頓して、その目の前にいる相手に対して、どのくらいの誠意を以って、あるひとつの話をすれば効果的なのか、あまり深く考えてはいないし、面倒なので「なぜ話さなければならないのか?」のほうに至る。で、実際に口をついて出る言葉は、少なめになるのでしょう。

 

私は、たくさんの情報をてんこ盛りに引き出してきてしまい、どれが目の前にいる人にとって効果的なのか、あれこれやってしまうので、効果が出ないとまたもや話してしまい、「なぜ話してしまうのか?」を考えることになる。多すぎる情報です(笑)。目の前にいる人の人数が多いと、余計にそうなってしまうようで・・・。

 

私は何かを「うまく言えない」と、相手に言い切ってしまうことは、なるべくないようにしたいと思っています。でないと、商売としてのプロフェッショナリズムが成り立たないので、「どう言えば最もうまく伝わるのだろう?」と考えるようにしています。

 

でもねぇ、仕事上ではなく、個人的な人間関係においても、こうしたことを考えないで、「どうして話さなければならないのか?」のほうを考える人はきっと多いのね・・・。だから、相手がいかに喜ぶかをわからぬまま、プロポーズや誕生日祝いやその他、うまく言えない感を抱くことになるのだろうと思うのです。私などは、目の前にいる西さんや母やネコやその他を実験台にすらしていますし、これまでけっこう長く生きてきた中での、成功例と失敗例もかなりたくさん持っているので、「言ってみてから反応を見よう」というゆとりもある。

 

でもなぁ、プロポーズはできることなら生涯に1回がいいだろうから、成功したいよねぇ・・・。うまく伝えられるかどうかは、相手のヨロコビのツボを知っているかどうかに尽きるでしょう。それには、あまり話すことに使うエネルギーを節約せず、会話はポンポンと弾むように、キャッチボールを続けてみませう。

 

私には、エレベーターでStranger(見知らぬ人)と乗り合わせても、一言キャッチボールをしあったほうが、きっといいと思っているのです。おしゃべりだからではなく、「お互いに危険な相手ではないのだよ」ということを伝えるシグナルを、さらに強化するという意味で。職場での朝の挨拶なども同じなのでしょう。「おはよう」のほかに、もう一言があれば、「うまくは言えない感」を、その相手に対して感じる場面は減ってくると思うんですよねぇ。

 

今日、私はこの時点までで、母と3言。宅配便の人と2言。ネコとはけっこうたくさん。しか話していないのですが、レッスンがあるので、そのときはかなり話すことになるのでしょう・・・。が、メールの返事も書いたし、これも書いたし、Mixiの新しい記事もアップしたし、かなり話したような気分になっています(笑)。私の「無口傾向」は拍車をかけているのですが、それも職業病の弊害なので、メールやブログやMixiでカバーできるので、あまり不安材料には感じていません。しかも、映画などを見ていると、自分も話して発したような気になりますしね(笑)。

 

が、リアルの人と実際に会話をすることは、本当に本当に大切ですっ!

 

 

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